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永田裕幸「模索の3年間、だからこその今」車椅子バスケ

カンパラプレス 5月14日(土)11時0分配信

 リオデジャネイロパラリンピック日本代表候補の永田裕幸。昨年、リオの切符を懸けて行われたアジアオセアニアチャンピオンシップ(AOZ)を戦ったメンバーの一人だ。彼が初めて日本代表候補の合宿に招致されたのは、2012年1月。ロンドンパラリンピックに向けて選考が進んでいる真っただ中のことだった。永田にとって、そこは別世界だったという。
「選手はみんな、顔は知ってはいたけれど、話したこともない人たちがほとんど。その中で、言われることも求められることも初めてのことばかりで……」
 当時の彼にとって、代表やパラリンピックは遠い存在だった。そんな永田に転機が訪れたのは、3年前のことだった。

小さな自信から大きな変化へ

 2013年11月に行われた「北九州市制50周年記念国際車椅子バスケットボール大会」。それが、永田にとって初めて日本代表の一員として臨んだ国際大会の舞台だった。

 日本、オーストラリア、カナダ、韓国の4カ国で総当たり戦を行い、上位2カ国で決勝、下位2カ国で3位決定戦を行なった結果、日本は3位。世界における位置を確認し、日本はそこからリオへのスタートを切った。

 初めての国際大会を経験した永田は、大会後にある思いを抱いていた。
 「もっと、強くなりたい」
 車椅子バスケットボールを始めて5年、初めて湧いてきた感情だった。

「初めて日本代表の試合に出て、力不足を感じることも少なくありませんでしたが、手応えもありました。特に韓国戦では“自分もこれだけやれるんだ”と思うことができた。だからこそ、もっとやりたい、もっと強くなりたい。そう思ったんです」

 その気持ちが、永田を練習へと向かわせた。大会後、永田はそれまであまり好きではなく、継続できでいなかったウエイトトレーニングにも力を入れるようになり、コート上の練習でも、より集中して行うようになった。初めての国際舞台でつかんだ小さな自信が、車椅子バスケへの意識を大きく変え、そして本気でパラリンピックを目指し始めるきっかけとなった。

 その後、永田は常に代表候補の合宿に呼ばれるようになり、2014年の世界選手権、アジアパラ競技大会では12人の代表入りを果たし、世界の強豪と戦った。だが、選ばれ続けていても、まだ代表チームにおける自分の役割が確立されていないことに、永田は悩んでいた。同じ持ち点2.0(*)の豊島英や藤澤潔は、それぞれの強みをアピールし、チームに貢献している。その姿を見ながら「果たして、自分には何ができるのか」を考え続けていた。

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最終更新:5月14日(土)11時0分

カンパラプレス