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復帰から44年の沖縄… 変わったもの、変わらないもの

沖縄タイムス 5月15日(日)12時40分配信

 復帰から44年。沖縄にはこの間、国から総額11兆8千億円の関係予算が投入され、社会資本整備が進んだ。有効求人倍率は復帰後最高の更新を続け、2012年に8%を超えることがあった失業率も5%前後で推移するなど、雇用環境も改善している。一方、依然として2万2992ヘクタールの米軍基地が存在するなど、安全保障上の負担が集中する傾向は続いている。

<沖縄関係予算>3千億円台で推移
 沖縄の本土復帰を受け、本土との格差是正や自立的発展のため、政府は沖縄の振興・開発を担当する沖縄開発庁(現内閣府沖縄担当部局)を設置。各省庁の予算を一元化し、復帰後、累計で約11兆8千億円の沖縄関係予算を投じてきた。
 予算額は右肩上がりで、大田昌秀県政の1998年にはピークの4713億円に達した。その後は2011年度まで全国的な財政縮小で減少傾向が続き、2千億円台で推移した。
 民主党連立政権時代の12年度に、沖縄振興計画の策定主体が国から県に変わり、「沖縄21世紀ビジョン」構想のもと、新たな振計がスタート。自由度の高い沖縄振興推進交付金(一括交付金)が導入された。
 自民党が政権を奪還した13年度からは再び当初予算ベースで3千億円台となり、政府は名護市辺野古の新基地建設に必要な埋め立て申請を承認した仲井真弘多県政に、「21年度まで3千億円台の予算額を確保」する方針を確約した。
 県内では14年の知事選で、新基地建設に反対する翁長雄志県政が誕生。政府との緊張関係が高まり、沖縄関係予算額が3千億円台を保てるかどうか、注目を集めた。
 第1次政権時代からアジア・ゲートウェイ構想を掲げている安倍晋三首相は、沖縄をアジアに向けた「日本のフロントランナー」に位置付け、沖縄振興策を総合的、積極的に推進するとの方針を堅持。
 15年度に3340億円、16年度も3350億円の当初予算を計上し、3千億円台の確保を継続している。

<人口>46万人増 143万人突破
 復帰時、97万人だった県の総人口は1980年に110万人、88年は120万人、99年に130万人を超えた。昨年は143万1千人となり、復帰から43年で47・5%増加した。2015年の人口増減率は0・43%で、東京都(0・53%)に次ぐ全国2位だった。
 1人の女性が産む子どもの平均数を示す合計特殊出生率は1・94で、全国一高い水準が続いている。出生数が死亡数を上回る自然増減率も全国トップ(0・44%)で、人口増の要因になっている。
 ただ、出生率は人口が増えも減りもしない水準(2・07)を下回っているため、このまま推移すると25年ごろをピークに人口は減少する見通しだ。
 このため、県は14年3月に「人口増加計画」を策定。昨年9月に計画を改定し(1)安心して結婚し、出産や子育てができる社会(自然増)(2)産業の発展や移住者の受け入れによる活力の強化(社会増)(3)離島・過疎地域の定住条件を整備-などの基本方針を定めた。
 県の目指すべき社会が実現した場合は、35年に154万人、50年は162万人に到達すると推計。沖縄21世紀ビジョン基本計画で示した将来像と連動し、沖縄の社会的な活力を向上する施策に注力する。

<失業率>5年連続改善 雇用好調
 県内の就業者数は本土復帰時から全国を大きく上回るペースで増えており、労働市場が拡大する一方、完全失業率は復帰時より悪化している。ただ、近年は雇用環境が上向いており、その要因としてアジア経済の活性化や円安効果、県内人口の増加などが挙げられる。半面、低賃金や非正規雇用率の高さといった課題も顕著に表れており、雇用の「質」に注目が集まっている。
 2015年の県内の就業者数は66万4千人で、復帰時(1972年、35万9千人)から85%も増えた。全国は24%増にとどまっている。
 一方で完全失業率は復帰時の3・7%に手が届く年はない。しかし、基幹産業である観光産業、情報関連産業の伸びに伴い、5年連続で失業率は改善している。
 15年の有効求人倍率が復帰以降の最高値(0・84倍)に並ぶなど、近年の雇用情勢は上向きの傾向。ただ、全国と比較すると高い非正規雇用率、建設・福祉・宿泊や飲食サービス業界での人手不足という課題がある。県は、「正規雇用化企業応援事業」といった事業を通して企業に「質」の改善を図るよう働き掛けている。

<待機児童>認可外保育が受け皿に
 戦後27年の米軍統治が問題を深刻化させた一つに「待機児童」の多さがある。認可保育所に入れない待機児童は2015年4月1日現在、沖縄は2591人で、人口比では全国最多となっている。
 本土復帰時に94カ所だった認可保育所は徐々に整備され、15年には433カ所を数えたが、待機児童の解消は変わらず県政の重要課題だ。
 沖縄で待機児童が増えた背景には、出生率の高さや、所得が低く子どもを育てながら働く女性が多いことのほかに、米軍統治下で本土並みの児童福祉行政が立ち遅れた特殊事情がある。
 公的支援が行き届かない状況で、公立や認可保育所の整備が進まず、代わりに認可外保育所が子どもたちの受け皿となる構図が定着した。15年の保育所に占める認可外の割合は49・7%で全国平均の約2倍という高さだ。
 県によると、待機児童と認可外保育所に通うなどの「潜在的待機児童」を含めた子どもの数は1万8千人。これを15年度からの3年間でゼロにする計画を掲げている。
 達成に向けては、さまざまな形態の認可保育所の新設や認可外保育所の認可化といった、受け入れ施設の拡充が急務。
 同時に、低水準の給与で働く保育士の待遇改善など、保育の質を保つ人材養成も欠かせない。

<米軍基地面積>返還実現、2割のみ
 復帰時、県内の米軍基地面積は2万8660ヘクタールだった。米軍統治が終わったにもかかわらず基地の縮小は進まず、1982年には2万5191ヘクタールが残っていた。一方、日本本土では、サンフランシスコ講和条約が発効した52年に13万5千ヘクタールあった基地が62年3万ヘクタール、72年には1万9699ヘクタールと段階的に縮小。負担が沖縄に偏る構図が生まれた。
 2015年時点で県内には2万2992ヘクタールが残り、県土面積の10%、沖縄本島の18%を占める。再提供された施設を含め、復帰後に返還されたのは5892ヘクタールで2割にとどまる。
 日米両政府は1996年、日米特別行動委員会(SACO)で普天間飛行場を含む11施設、5002ヘクタールの返還に合意した。それから20年を経て、全面返還が実現したのはわずか4施設。返還する土地や施設の大半が県内移設を条件とされたため、県民の反対は根強く、返還は進まずにいる。こうした中、政府は、普天間返還を実現するには辺野古に新基地を建設するのが「唯一の解決策」と主張。強硬な姿勢を示している。
 「戦後70年以上にわたり、重い基地負担を負わされ続けてきた沖縄に、新たな基地を造る必要性が本当にあるのでしょうか」。翁長雄志知事は4月、辺野古をめぐる総務省の第三者機関・国地方係争処理委員会の中で問い掛けた。
 防衛省によると、ことし1月時点で在日米軍専用施設の74・46%が沖縄に集中。県の資料では、嘉手納町の82%、金武町の55・6%、北谷町の52・3%、宜野座村の50・7%を米軍基地が占めるなど、沖縄の基地負担が過重な状況は続いている。

<県議選>投票率低下 細る関心度
 6月5日に投開票を控える県議選は、本土復帰した1972年6月の第1回から12回目の選挙となる。
 復帰に伴い、米軍統治下で琉球政府とともに設置された立法院が沖縄県議会となって初の選挙は、同じく復帰後初の知事選と同日選だったこともあり投票率76・96%と有権者が政治に関わる意識が高かった。
 だが、76年の第2回の82・28%をピークに減少傾向が続き、直近の12年第11回は52・49%で過去最低となっている。
 沖縄戦後の米軍統治下で現在と同じように20歳以上の男女が選挙で立法権を持つ立法院議員を選択するようになったのは、1952年の立法院議員選挙だった。
 ただ、行政主席は米民政府トップの高等弁務官が任命しており、自治や自立を限定された住民は自らの投票で主席を決める主席公選を主張し続け、戦後20年以上たった68年にようやく実現した。
 本土復帰の年の県議選が76・96%と高い投票率となった背景には、県民が復帰前に自らの手で選挙権を勝ち取った歴史と、有権者として代表者を選ぶことで政治に参加する高い意識があった。
 76年の第2回も知事選とのダブル選挙で歴代最高の82・28%を記録した。
 92年の第6回まで70%台を保っていたが、第7回の96年で66・36%となって以降、投票率は毎回減少している。
 県議選の投票率低下は、44年前の復帰当時から県民の生活が安定の方向へ向かう一方で、政治への関心が薄れていることを象徴している。
 ただ、米軍基地問題や子どもの貧困をはじめとする生活に関する問題など政治が解決するべき課題はなお残されている。
 有権者は沖縄の参政権が与えられたものではなく勝ち取ってきた歴史を振り返り、自らの投票で政治、社会を動かす意識を持ち続けることが求められている。

最終更新:5月15日(日)12時40分

沖縄タイムス