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逮捕から40年 角栄論の盛り上がり再び

ニュースソクラ 5月16日(月)12時0分配信

【またも角栄ブーム(上)】旧敵もひかれる人間的魅力

 間欠泉のように周期的に興るのが田中角栄ブームだ。

 今回の火付け役は、石原慎太郎が年初に出した『天才』。角栄が一人称「俺」で生涯を語る小説である。7月にはロッキード事件・田中逮捕40周年が巡り来るだけに、しばし角栄論で盛り上がりそうだ。

 1974年11月号の「文藝春秋」が掲載した立花隆「田中角栄研究―その金脈と人脈」、児玉隆也「淋しき越山会の女王」の2本の記事が田中退陣の引き金になったのは、よく知られる。前座のように同誌9月号に田中政治を痛烈に批判した「君、国売りたもうなかれ」を書いたのが、自民党の若手議員集団「青嵐会」に属した石原だ。没後20年余、旧敵が「天才」と持ち上げる。角栄のたぐいまれな人間的魅力の証左だろう。

 首相になる1年前の71年7月、佐藤栄作内閣の改造で田中通産相(経産相)が誕生。新人記者だった筆者は通産省担当の末席で、間近に角栄を見た。

 前任は宮沢喜一。祖父が大臣、東大卒、大蔵(財務)省出身、英語が堪能。越後の馬喰(ばくろう)の息子で高等小学校卒の角栄と対象的なエリートだった。

 当時の懸案は日米繊維交渉。沖縄返還の見返りに佐藤首相はニクソン大統領の求めに応じ、対米繊維品輸出の規制を約束していた。国内業界は反対一色、通産省内も強硬派が多かった。佐藤が知米派と見込み起用した宮沢は、訪米したが米政府との妥結に失敗した。

 日米関係がとげとげしくなり、佐藤が“火中の栗”の拾い役に指名したのが角栄。通産省に乗り込むと、あっという間に省内を掌握した。おんぼろ庁舎の建て替えを、すぐ予算化するなどのアメも使って。

 大臣就任の3ヶ月後に交渉は妥結した。角栄流は米国との交渉より、もっぱら国内業界の救済策に重点を置いた。日米関係をこれ以上こじらせない、という政治判断の下、巨額の対策予算を引き出した。「次期首相」の呼び声に、大蔵省も財布のヒモを緩めた。
宮沢との大きな違いにすぐ気づいた。発言の語尾だ。

「~でしょうか」「~かもしれませんねえ」などと語尾を濁らせる宮沢。「~します」「~はありません」「~だ」と断定調の角栄。聞く者には力強く、発言に責任を持つ覚悟のほどが伝わってきた。

 角栄が1年5ヶ月ほど歳上に過ぎないが、首相就任時の年齢=角栄54歳、宮沢72歳、この“時差”が両者の政治力の差を映していたように思う。

 とにかく話が面白い。大臣室でのオフレコ懇談が楽しみだった。汗っかきで卓上に常に、おしぼりが置かれ、コニャックの水割をあおりながら、政策談義から政界懐旧談まで幅広い。吉田茂政権の最期の日々を語った時などは、まるで講談を聞くようだった。

 こんな場面も見た。予算編成や国会のヤマ場で深夜まで大臣室に残ることがある。退庁の際、秘書官室に詰める若い女性スタッフにも「お嬢さんもこんな遅くまで。悪いねえ」と声をかける。天性の人心掌握術に舌を巻いた。旧敵が魅せられて不思議はない。

■土谷 英夫(ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1948年和歌山市生まれ。上智大学経済学部卒業。日本経済新聞社で編集委員、論説委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任。
著書に『1971年 市場化とネット化の紀元』(2014年/NTT出版)

最終更新:5月16日(月)12時0分

ニュースソクラ