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【またも角栄ブーム(下)】 高度成長を体現する政治家が首相になったら、高度成長は終わっていた

ニュースソクラ 5月20日(金)11時50分配信

幹事長、首相、「闇将軍」 それぞれの時代

 毀誉褒貶(きよほうへん)が極端な人だ。

 頭の回転の速さと実行力で「コンピューター付きのブルドーザー」と呼ばれ、54歳で首相になり「今太閤」とはやされた。金脈問題やロッキード事件で、金権政治の権化と見なされ、晩年は「目白の闇将軍」だった。

 戦後初の総選挙に出馬し、こう演説した。「(新潟と群馬の境の)三国峠を切り崩す。季節風が太平洋側に抜け、越後に雪は降らなくなる。切り崩した土で埋め立てて、佐渡を地続きすればいい」。

 即物的というかハード指向、都市に対する田舎の味方。雪国出身の田中土建社長にして一級建築士ならではの発想だ。田中政治の原点である。

 平議員として33本の議員立法を仕上げたが、多くは道路、河川、住宅など公共事業がらみ。問題となった金脈もしかり。代表例が「信濃川河川敷」疑惑で、後に公共事業によって価値が上がる土地を、田中ファミリー企業が先行取得する錬金術だった。

 政治の中枢に躍り出たのは、池田勇人政権で自民党政調会長、蔵相(財務相)と「政策の要」のポストを務めてから。エリート官僚たちを心服させた蔵相在任は、次の佐藤栄作政権にまたがる3年弱に及んだ。

 佐藤政権での閣僚ポストは、ほかに政権末の通産相(経産相)の1年だけ。4年1ヶ月を自民党幹事長として、野党との折衝や選挙対策などで、政権の土台を支えた。佐藤政権の連続7年8ヶ月は最長記録だ。

 合わせて12年の池田―佐藤政権下で、日本経済は年平均10%の高度成長を実現し、押しも押されもせぬ先進国になった。政治の安定があってこそ、政権がころころ替わっていたら高度成長も危うかった。日本を「豊かな国」にした功労者が角栄だ。

 在任2年半弱の首相としての実績では、だれもが日中国交回復をあげる。だが、経済は悲惨だった。成長率は急減速、インフレ率は戦後の混乱期以来の2ケタを記録した。石油危機にぶち当たった不運はあるが、その前から、政権公約の「日本列島改造論」が地価や物価の上昇加速の素地をつくっていた。

 政権発足の前年に円切り上げがあり、高度成長期は終焉を迎えていた。10%成長の継続が前提の列島改造計画は、むしろ経済を混乱させた。総需要抑制で「狂乱物価」を押さえ込み、安定成長に軟着陸させたのは、ライバル・福田赳夫の手柄だった。

 高度成長にもっとも適合した政治家が、政権に就いた時に、高度成長の時代が終わっていたのだ。

 退陣後、特にロッキード事件で“手負い”となって以降は、政治力で「無罪」を勝ち取ろうと、田中派を膨らませ、他派閥の首相をかついで操るキングメーカーとして振る舞った。「怨念の政治」や「政治とカネ」にまつわる不祥事といった角栄の負の遺産が、長く日本の政治を混乱させることになった。

 筆者の角栄評価は、長期政権を支えた幹事長時代がA、首相時代はせいぜいCプラス、闇将軍になってからはDかE。昨今の再評価は、ほめすぎの感がある。

■土谷 英夫(ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1948年和歌山市生まれ。上智大学経済学部卒業。日本経済新聞社で編集委員、論説委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任。
著書に『1971年 市場化とネット化の紀元』(2014年/NTT出版)

最終更新:5月20日(金)11時50分

ニュースソクラ