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永守日本電産社長、「カネ無し、人脈無し、何も無し。だから海外に売りに行った」

ニュースソクラ 5月23日(月)14時0分配信

わが経営を語る 永守重信日本電産会長兼社長・CEO(1)

 日本電産の永守重信会長兼社長・CEO(最高経営責任者、71)は28歳で創業し、売上高1兆円企業(2015年3月期連結決算)をつくり上げた。モーターから始まって、今や自動車の電装品などに事業を広げている。さらに30年度に売上高10兆円の目標を掲げて、戦略的かつ猛烈な経営を展開する。そのあくなき成長を目指す経営の極意を語る。(聞き手は森一夫)

 ――永守さんは「三大精神」として「情熱、熱意、執念」「知的ハードワーキング」「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」を実践して成功してきました。半面、周到な経営を展開しており、なかなかの戦略家でもありますね。
 
 そう思ってくれえる人は少なくてね。何か口から出まかせを言っているのではないかと見られています。「あれはホラを現実化した人です」とか「たまたまでしょう」という風に思っている人が多いんですよ。
 しかし極めて戦略的ですよ。企業買収にしても、来たものを何でも買っているわけではない。きちっとパズルを解くように選んで買っている。右目の部分を買って、左目を買って、次に鼻を付けるという具合にね。ビジネスモデルもどんどん変えて来ました。パソコンのハードディスクドライブ用のモーターをやり、カメラ関係、そして自動車向けに行っているでしょう。
 
 ――仲間4人で自宅で創業した時に、「三大精神」ばかりか「経営3原則」も決めていたというのは本当ですか。「非同族企業を目指す」「下請けはしない」「インターナショナルな企業になる」と3原則はうたっています。
 
 創業の前に、全部できていましたよ。「Nidec」のブランドもすべて作ってあって、その通りにやっている。同族会社にしませんから、2人の息子には「お前たちは後を継げないぞ、自分で会社をやれ」と言ってきました。今2人は別の会社の社長をやっています。
 同族会社にしないのは、そういう会社で働いてみればわかります。例えば、家族が乗る車の費用を会社につける。そんなのを見れば、社員の士気は落ちますよ。理想の会社を作ろうと思ったら、絶対に非同族でなかったらあかん。
 どのような会社にするかという構想は、学生時代から練って何十冊とノートに書き留めてきました。組織をどうするかも出来上がっていた。今うちの大番頭をしている小部(博志)副社長は学生の時、たまたま僕の下宿の隣にいたんです。ノートを広げて構想を語りながら、「わしは将来、会社を作る。お前が来たら、副社長にしてやる」と言っていた。実際にその通り副社長になっているでしょう。
 「インターナショナルな企業」と書いたのは当時、「グローバル」という言葉が一般的ではなかったからです。仕事の確保にきゅうきゅうとしていたら、オムロンの創業者の立石一真さんが「そんなに苦しかったら、どうやオムロンの下請けをやらへんか。明日からでも仕事を出してやるぞ」と言ってくれました。ところが「しかし君は下請けをやらないという方針を立てていたな」という言葉に我に返って、初志を貫徹することができた。
 要するに創業前に基本的な方針は全部固まっていたわけです。それに従って計画的にやってきたのです。ただ1兆円企業になるかどうかは念頭になかった。ここまで来るとは、正直なところ思わなかったけどね。

 ――創業当初は、何も頼るものは無かったのでしょう。
 
 全く何も無い。一流大学を出たわけでもない。カネ無し、人脈無し、何も無し。だから海外にすぐに売りに行ったのですよ。まず米国の3Mにね。それからIBMに行って、超一流企業から開拓した。今も業界ナンバーワンから攻めるというのが原則や。自動車関係に入る時も、ドイツのBMW、ベンツ、フォルクスワーゲンからです。国内の自動車メーカーは今でも、門戸が堅い。海外の企業は、よい物を持って行けば買ってくれる。

 ――オムロンの故立石一真さんに出会ったのは、創業の翌年、立石さんが社長をしていたベンチャーキャピタルの京都エンタープライズデベロップメント(KED)から投資してもらった時ですか。
 
 それから親しくしてもらって、今、立石一真を語るとなると、僕が必ず引っ張り出される。生き証人ですよ。最も尊敬する人は誰かと尋ねられたら、立石さんと言う。KEDから投資を受けに行ったときは、ワラにもすがる思いだったね。菜っ葉服を着たままで立石さんを訪ねて、夢を話したわけや。
 立石さんが工場を見に来てくれた時は、座る場所もなかった。ミカン箱に座ってもらって、真夏だったのでジュースを出した。一通り見た立石さんの第一声は「なかなか立派にやっている」なんだ。そんなはずはないだろうと思ったら、「今度、会社に来なさい。創業のころの写真を見せてやるから」と言ってくれた。実際に行って見たら、ひどかった。わしの方がまだましや。
 京都が幸いよかったのは、創業者が一杯いて、立石さん初め稲盛和夫さんなどお手本がたくさんあったことだ。ただし稲盛さんも堀場製作所の堀場雅夫さんも会社を作る時に資金を出してくれる後援者がいたわけですよ。僕がなぜ立石さんを尊敬するかというと、立石さんは徒手空拳で、土間みたいなところから始めている。僕と一緒です。
 僕の誇りは全くのゼロからの創業だということです。誰からも援助を受けていない。担保になるものも無かった。そこから1兆円企業をつくったということです。でも何も無かったのが、逆によかったのですがね。
(次号に続く)

森 一夫(経済ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、日本経済経営研究所客員研究員、特別編集委員兼論説委員を歴任。著書に「日本の経営」(日経文庫)、「中村邦夫『幸之助神話』を壊した男」(日経ビジネス人文庫)など。■

最終更新:5月23日(月)14時0分

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