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慰霊碑の下に眠る400の魂 それを守り続ける、一人の被爆者の物語

BuzzFeed Japan 5月27日(金)8時10分配信

原爆投下直後の混乱のなか、県内各地に運ばれ、そのまま息絶えた人たちがいる。

骨になっても故郷や肉親のもとに帰ることができず、見知らぬ土地に71年、とどまっている彼女ら、彼ら。そんな数百人が眠る慰霊碑を守る、一人の被爆者に会った。
【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

「あわれとしか言えんよね」

その慰霊塔の下には、400ともそれ以上とも言われる人たちが、いまも眠る。
広島市中心部から約50キロ、車で1時間。安芸高田市の山あいにある墓地の一角に、ひっそりと佇む慰霊碑がある。

大きさは、子どもの背丈ほど。このすぐ下に数百もの人たちが骨となり埋まっているとは、信じられない。みな、故郷も、名前も、年齢も何一つわからない、無縁仏だという。

「ここにはね、壷にも入っていない、ばらばらの骨をまとめて埋めてある。400だなんて想像できんねえ。焼かれると、人は小さくなってしまうんですよ」
そう話すのは、碑を守ってきた「吉田町原爆被害者の会」で事務局を務めていた地元の三原功暉さん(72)だ。

「あわれとしか言えんよね。みんな、肉親の墓へ入りたかったと思うよ。悔しかったでしょう」

「広島にはね、こういうお墓があちこちにあるでしょう。それぞれに何百人も、何千人も埋まっている。無差別殺人というのかねえ、原爆は残酷だ。誰彼なしに、大人も子供も、将来のある人もみんな殺してしまう」

戦死した父と、せんべい屋の母

2歳だったから記憶にはないものの、三原さん自身も被爆者だ。母親と、4つ上の姉とともに、爆心地から4キロあまりのところで被害を受けた。

せんべい屋を営んでいた自宅は市の中心部・流川地区にあった。しかし1945年ごろには空襲を恐れ、一家は母の実家に疎開をしていたという。実家は倒壊を免れたが、せんべい屋は文字通り、跡形もなくなった。

海軍に徴集された父親は、その少し前に、フィリピン海沖で戦死している。気丈だった母親はすぐ、あり合わせの材料で原子野に掘っ立て小屋を建て、商売を再開した。終戦から2年ほど後のこと、三原さんには、バラックが立ち並ぶ繁華街を走り回った記憶がある。

復興はぐんぐん進んでいった。「中学に入るころにはビルも建っていた」。短大まで進みながら、母親の仕事を手伝った。26歳になると、2人で父親の里である吉田町(いまの安芸高田市)に移り住み、飲料品会社に入社。人と比べて体は弱く疲れやすく、「原爆のせいかな」とも感じていたという。

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最終更新:5月27日(金)13時47分

BuzzFeed Japan