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口永良部噴火から1年 復興険しい道のり 希望決して失わぬ 帰れぬ人2割も

日本農業新聞 5月28日(土)17時29分配信

 鹿児島県・口永良部島の新岳が噴火して29日で1年となる。昨年12月、火口付近の8世帯を除いて避難指示が解除され、噴火前の8割となる108人が帰島を果たし、島を活気づけようと焼酎用サツマイモ栽培も始めた。一方で、家の片付けや土砂崩れに遭った道路の整備など課題は多く、依然として仮設住宅で暮らす人もいる。口永良部の今を見た。

 「帰って来られない人がいるのはつらい。でも前を向かんと、どうしようもないけえ」。避難指示が解除された昨年12月に帰島した久木山栄一さん(36)は、こう振り返る。

 帰島して5カ月余り。当時と比べて荷物を運送する自動車が行き交い、島に活気が戻ってきた。久木山さんも運送業に加え、口永良部島活性事業組合の副組合長も務め、芋焼酎「三岳」の原料となるサツマイモの契約栽培に取り組む。「芋焼酎を復興への原動力にしたい」と前を向く。

 だが復興への道は険しい。昨年の雨で島内数カ所で土砂崩れが発生し、道路が寸断されたままの所もある。フェリー乗り場から近い本村地区でも崖が崩れてガードレールをなぎ倒し、家を傷付けた。2世帯が暮らす寝待地区に続く道は土砂で寸断され、立ち入り禁止が続く。梅雨に入って被害はさらに拡大する恐れもある。新岳火口付近の避難指示は続き、帰島できない住民の家ではシロアリやかびが発生。畑も手つかずで荒れたままとなっている。

 27日、唯一の購買店舗であるJA種子屋久口永良部事業所に商品が運び込まれると、多くの島民が集まってきた。それでも職員の安永清志さん(44)からすれば「お客さんは以前の半分くらいかな。仕入れも大体、半分くらい。全員そろって、初めて“えらぶ”。1人いないだけで、島の雰囲気は全然違う」と感じている。

 屋久島町によると、噴火から1年がたち、完全に自宅に戻れた住民は137人中86人。町営住宅などで生活している人は17人、屋久島と往復しながら暮らしている人が5人。避難指示や介護などで帰島ができない島民は13人。うち8人は仮設暮らしを余儀なくされている。高齢で亡くなったのは2人。「帰らない」という選択をした人もいる。

 土砂崩れで道が寸断され、屋久島で避難生活を続ける前原マリ子さん(76)は「この1年間、自宅は手つかずのまま。多くの人に支えられて仮設の生活に不便はないけれど、昔から慣れ親しんだ島に帰れないのは寂しい」とこぼす。帰島までの心の支えにしようと畑を耕し、26日にはラッキョウの収穫を終えた。

 避難時に区長を務めていた林信昭さん(70)は言う。「島を盛り上げようと奮闘している若者がいる一方、島に帰れない人もいる。全島避難が解けたとしても、元通りになるまでには相当、時間がかかる。まだまだ厳しい闘いを続けなくてはいけない」。島民にとって復興は道半ばだ。(竹林司)

日本農業新聞

最終更新:5月28日(土)17時29分

日本農業新聞