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“黒川塾 (三十五) ”デジキューブと混乱期のスクウェアを和田洋一氏が振り返る!

ファミ通.com 6月1日(水)14時15分配信

文・取材・撮影:ライター ヒナタカ

●デジキューブが手がけたのは“ゲームのキュレーター”
 おなじみの黒川文雄氏による“黒川塾 (三十五) ”が、東京・デジタルハリウッド大学大学院にて、2016年5月31日に開催された。今回のテーマは“ゲームビジネス潮流観測~藍綬褒章受章記念ナイト”。スクウェア・エニックス 元代表取締役社長の和田洋一氏がゲストとして登壇した。

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 今回は、国内外のゲームソフトの開発と流通に深く関わった和田氏が、デジキューブとエニックスの歴史や、ゲーム業界のビジネスを独自の知見で語る内容になった。

■デジキューブという会社は革新的だった
 最初のトークテーマは、かつて存在した企業“デジキューブ”。和田氏によると、デジキューブはスクウェア(現スクウェア・エニックス)の子会社として、コンビニエンスストアでゲームを販売するために立ち上げられた。だが、それだけではなく、たとえば、デジキューブは2000年の時点でゲームソフトのPR映像などをCS放送などで配信し、いまのニコニコ動画やYouTubeの紹介動画と似たようなプロモーションを実施し、コンテンツに自分たちで価値をつけていくという“ゲームのキュレーター”のような革新的なサービスも手掛けた先駆けの会社だったと振り返った。「2005年あたりのネット文化にアイデアを持って来ていれば、デジキューブは大きく化けていたかもしれません」(和田氏)。

 なお黒川氏は、デジキューブがコンビニでゲームを販売するというインフラを残したことが、エンターテインメントコンテンツには大きなプラスになったと指摘した。

■スクウェアの“お金を稼ぐマシーンがなかった”時代とは
 2000年に入り、スクウェアは映画『ファイナルファンタジー』の不振や、大量の子会社の設立と人員の採用があったことを黒川氏が指摘すると、和田氏は部長クラスの人員が多数退職してしまったり、『ファイナルファンタジーIX』と『ファイナルファンタジーX』以外に大きく売れるタイトルがなかったにも関わらず、新規事業に参入しようとしていたりと、さらに大きな混乱状況に会社が置かれていたと振り返った。

 和田氏は、当時のスクウェアが“お金を稼ぐマシーンがなかった”状態であると語り、たとえば映画『ファイナルファンタジー』は製作に4、5年かかったこともあり、手元に残るお金がほとんどなかったそうだ。「この状態をたとえるならば、“お寺の境内を借りてお祭りをするために、たこ焼き屋さんや太鼓のプロにまで、自腹でたくさんお金を払っていた」(和田氏)というほどだったのだという。それでも、スクウェアは『ファイナルファンタジーXI』というMMORPGへ注力するなどして経営を続け、エニックスと合併する直前は創業以来最高益を記録するほどに立て直すことができた。

 ただ、和田氏は当時の状況を振り返り、ハワイのスタジオに長期間滞在していた坂口博信氏に匹敵するリーダーが国内におらず、本質的にはしっかりとお金を稼ぐパイプラインがないという、ビジネス面での不安を抱えていたという。そこで和田氏は、家庭用ゲーム以外に、携帯電話(ガラケー)のコンテンツなどにも進出していくことを決断する。だが、すぐにガラケー用のコンテンツが開発・運営できたかといえばそうではなく、当時はパッケージソフトのセールスに特化した人員ばかりが会社に集まっていたことや、ネットワークエンジニアが少なかったこともあり、研修や異動にかなりの苦労を要していたとのこと。

●スマートフォンゲームでの“焼き直し”は厳禁!?
■新しいチャレンジに有効なのは既存のIP? それとも……
 ガラケーという新たなプラットフォームに挑むとき、当初、和田氏は坂口博信氏の「新しいチャレンジをするときには(自社の)IPを使え」という助言に沿ったプランを練っていた。それまでスクウェアは、ファミコン、スーパーファミコン、そしてプレイステーションへとプラットフォームを移した際、看板シリーズ『ファイナルファンタジー』というIPで成功を収めてきた。とくに『VII』では、任天堂からソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)のハードへと切り替え、技術的にもポリゴンを採用するなど、大きなチャレンジに打って出たが、結果、『VII』は、世界でも大ヒットを記録。

 そうした成功体験がありながら、和田氏は2005年前後から“時代の変わり目こそ、新しいIPで”という信念を持つようになったという。

 その理由のひとつが、ゲームは動作環境(プラットフォーム)が変わるとその性質のままに移植できない、つまり“再現性”が低い点にあるのだという。しかも、スマートフォンゲームはカジュアルであり、ユーザー層も異なるため、“いままでのIPを使うという焼き直し”はむしろ“絶対にやってはいけない”と感じるようになったとのこと。「『パズル&ドラゴンズ』が、もし『ラグナロクオンライン』シリーズのようなものであったら、ヒットはしなかったかもしれません」(和田氏)。新しいプラットフォーム、動作環境でリリースするゲームは、たとえ荒削りでも、チャレンジをしたゲームのほうが大きく化ける可能性がある、というのだ。

■ゲームの規制に必要なのは“何が論点かを考えること”
 また、和田氏がCESAの理事を務めていたときに問題となった、ゲームの残虐描写や性描写の規制についても触れた。当時、“表現の自由がある”という開発者側の主張も当然あったが、同時に“何を作ってもいいってわけじゃないだろう”という反論もあったという。

 和田氏がこの論点を詳しく聞くと、「娘にはこんなものを見せられない」という青少年の健全育成にまつわる主張が多かったのだという。こうした意見を持つ人々の多くは“ゲームは子どもが遊ぶもの”だという認識があったようだが、その一方で、実際にゲームを遊ぶユーザーの多くが成人であり、そのマーケットは大きい。

 オンラインゲームが普及し始めると、今度はランダム性が強く過度にギャンブル性の高いゲーム内課金などの問題が出てきた。大人が納得してお金を払って楽しむ分には問題がないが、過度の依存、未成年者が親のクレジットカードを盗んで支払いをするなどの問題には規制は必要だ。

 和田氏はこうしたゲームの規制について、一元的に規制するのではなく、「何が論点かを考え、クリアーして実務に生かさないといけない」と主張した。

■新しい時代に必要なのは、“とにかくやめないこと”
 最後に和田氏は、今後のゲーム業界の展望として「クラウドゲーミング、VR(バーチャルリアリティー)、AR(拡張現実)など、新しいコンピュターの世界が待ち受けており、5年後10年後がどうなるかがわからない。だからでこそ開発するコンテンツを試行錯誤して開発し、その知見を貯めておくべき」だと強調した。そのために必要なのは「とにかくやめないこと」。

 和田氏自身も「16年間、ゲームのことを考え経営をしてきましたが、つぎの16年間も何らの形でゲーム業界をお手伝いしたいです」と今後もゲームの仕事に携わっていく意向を示した。同氏は“社会”と“バイオ(生命)”を作るという構想を持っていたこともあり、今後はオンラインゲームも積極的に手がけていくようだ。和田氏の今後の活躍にも期待したい。

最終更新:6月1日(水)14時15分

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