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<イラク報告>ヤズディ教徒「イスラム国」包囲続く中、町に帰還も苦渋の決断 支援減って生活再建に苦難  玉本英子

アジアプレス・ネットワーク 6月2日(木)11時53分配信

私は20年近く、おもに中東での取材を続けている。その中でもいちばんつらい経験のひとつが、いまイラクで起きている悲劇だ。北部地域には、クルド系の少数宗教ヤズディ教徒が暮らしてきた。フセイン政権下では移住を強いられ、イラク戦争後はスンニ派武装組織から攻撃にさらされた。ヤズディの過酷な歴史を知るために、私は繰り返し北西部シンジャルと、その周辺地域を訪れてきた。

[他の写真を見る] 虐殺、拉致…ISに蹂躙された街シンジャルを行く

この地域が、過激組織「イスラム国」(IS)の襲撃を受けたのは2014年8月のことだ。ISはヤズディの町や村を包囲し、住民にイスラム教への改宗を迫った。拒んだ男性たちは次々と虐殺された。女性は「奴隷」としてISの支配地域へ送られ、戦闘員に分配され凌辱された。かろうじて脱出できた住民約10万は、イラク・クルド自治区に逃れ、いまも多くが避難民キャンプのテントで暮らす。

ISに制圧されたシンジャルがクルド部隊によってISから解放されたのは昨年11月。私は今年3月、部隊に同行し、町に向かった。銃を携えたクルド兵の車両で、草原地帯に伸びる幹線道を走る。あちこちに破壊された民家が点在し、ISが仕掛けた爆弾で道路にいくつもの大きな穴があいていた。

シンジャルの中心部に入ると、大通りに並ぶ建物のほとんどは崩れ落ち、瓦礫となっていた。ISの拠点となっていたため、米軍・有志連合の戦闘機が激しい空爆を加えたためだ。ぐにゃりと折れ曲がった商店のシャッター、壁には無数の弾痕。かつて私がここを訪れたとき、買い物や食事を楽しむ人びとの姿があった。いまは警備の兵士しかいない。郊外にはまだIS部隊が布陣している。だが、いまも危険と隣り合わせのこの町に、一部、住民が戻り始めた。アザディ地区には7世帯が帰還していた。

アサド・ハッジさん(39)は20日前に避難先だったクルド自治区の避難民キャンプから帰還してきた。生活があまりに過酷だったからという。「荒れ地のテント暮らしは過酷すぎた。食糧配給も減った。どうせ苦しむのならと、故郷に戻ることを決めた」と話す。警察の仕事を得たのも理由のひとつだ。毎日、砲弾が飛んでくるため、妻と5人の子どもは外に出歩くことはほとんどない。治安部隊から食料を分けてもらい、井戸で水を汲む。電気供給はないので1日、数時間だけ発電機をまわすという。

アサドさんの親族もISに殺害されている。「ヤズディは“邪教”として次々と殺された。拉致された女性たちの多くは行方不明のまま。私たちに何の罪があるというのか。なぜ誰も助けてくれないのか」

ヤズディ団体によると、シンジャル解放以降、国際人道機関からの避難民支援は激減したという。だが周辺の町や村の多くはまだISに支配されたままで、住民帰還の目途もたっていない。たとえ故郷に戻っても、生活の再建にはほど遠い。

「ISの虐殺から生きのびただけマシだったと思ってきましたが、これほどのつらい生活を強いられるなんて」
アサドさんは顔をゆがませた。

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」5月23日付記事に加筆修正したものです)

最終更新:6月2日(木)15時49分

アジアプレス・ネットワーク

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。