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中学時代に単身渡米 塚田陽亮が歩んだ異色のVロード

ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO) 6月5日(日)19時49分配信

塚田陽亮がゴルフを始めたのは10歳のとき。亡くなった祖父の影響でクラブを握り、小学校卒業後はゴルフアカデミー(デビッド・レッドベター・アカデミー)に通うため、実家がある長野県から群馬県の中学に入学した。“単身留学”の場所は、3年生の時には米フロリダのIMGアカデミーになった。国内メジャー「日本ツアー選手権 森ビル杯」で悲願のツアー初勝利を飾ったのは、同世代では異色の道を歩んで栄冠に辿り着いた31歳だった。

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米女子ツアーで活躍するポーラ・クリーマーらと一緒に腕を磨いた高校時代。ゴルフよりも苦しんだのが、当時まったく話せなかった英語だった。学業をおろそかにすると、ゴルフができない米国のジュニア環境。「イングリッシュの授業は、アメリカ人にとっての国語。僕はしゃべるのだけでも大変なのに…ヒストリー(歴史)や理科なんて、専門用語を覚えるのでアップアップしていた。高校時代にあんなに勉強して、大学でも勉強するのかと思ったらゲロが出そうになった」

当時の財産を実感できるのは日本に帰り、名古屋商科大に進んでプロ生活を送るようになってから。ツアーの現場では、海外の選手とも平然と会話する姿がある。「外国人の選手は悪い日も手を叩いて励ましたり、笑顔でナイスバーディ、ナイスショットと声を掛け合ったりする。僕はそういうことをアメリカで学んだ」

3年前、日本ツアーのある試合で、塚田は突然、見慣れないシンガポール人のキャディを起用したことがあった。その前の週の試合で来日したが、帯同した選手にクビを言い渡され、途方に暮れていたそのキャディを「何度か面識があったから」という理由だけで救った。「アメリカで英語を話せない僕を、外国人は誰ひとりバカにしなかった。たくさんの人が親切にしてくれたから、今度がそうする僕の番」という男気だった。

身長173cm、体重80kg。ちょっとふっくらとした体型と、ちょっとコワそうな外見は、精神力の図太さを思わせるが、実際そうではない。今大会で2季ぶりにコンビを組んだ梅原敦キャディは「すごく繊細。こっちが強く言うとシュンとなるんですよ」と言った。同じ1985年生まれで付き合いの長い池田勇太も「(気持ちは)小さい」と言った。そして本人も。「僕は、全然ダメですよ。プライベートのときはそうでもないんですけど(笑)。調子のピークが月曜日、火曜日で、そこから下降して…試合は緊張しちゃうっていうパターン」

この最終日も、良い流れを作った1番ホールでのチップインパーの際にも、足は震えていた。しかし、自分のメンタルの弱さを知るからこそ、土壇場で開き直る素直さもあった。8番でボギーを叩いてふてくされていたら、梅原キャディから「そんな顔をしているヤツは神様が見てくれない」と叱られた。「…そうだなあ。もう少し笑ってやってみよう」。サンデーバックナインは、ボギーなしの3バーディで大混戦のレースを駆け抜けた。

31歳でつかんだ初優勝、賞金3000万円、そして5年シード。振り返った道のりについて、塚田は「長かったとは、まったくは思わない」と即答した。「もともとの夢、目標は30歳までにツアーに出場することだった。いい時期に優勝できた」。国内メジャー大会でつかんだ栄冠は、弱い自分を認め、懸命に向き合ってきたキャリアの成果だった。(茨城県笠間市/桂川洋一)

最終更新:6月6日(月)0時21分

ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

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昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。