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[寄稿]韓日の国宝、半跏思惟像の出会い

ハンギョレ新聞 6月5日(日)7時23分配信

 中宮寺の半跏思惟像が故郷と言える朝鮮半島に現れ、先祖でもある韓国の国宝78号と向き合うことになり、韓日の古代文化の交流が再現されたかのようで心打たれる。実に1400年ぶりの出会いである。商業用の「ブロックバスター展示会」とは質を異にした、国立中央博物館だけが可能な特別展だ。

 博物館の特別展は通常3年前に決められる。早いようだが、実際の企画はそれよりずっと前に始まっている。国立中央博物館で今開かれている特別展「韓日の国宝、半跏思惟像の出会い」の企画は12年前に始まった。2004年に国立中央博物館は景福宮時代を終え、龍山(ヨンサン)時代を迎えるため、所蔵遺物約10万点の引っ越しが行われていた。無振動の5トントラック約500台分に8カ月間、武装した護送員が搭乗して警察車両が前後を警護する大移動だった。

 引っ越し期間中の7月から10月まで、国立中央博物館は旧館(現・国立古宮博物館)に国宝78号と国宝83号の金銅弥勒菩薩半跏思惟像2点だけを3カ月間展示した。広い展示室を暗くし、高い天井から二つの作品にスポットライトを浴びせた大胆な展示だった。その静寂な空間に漂う二組の半跏思惟像の神々しい姿は今も忘れられない。

 同年10月、ソウルでは国際博物館協議会(ICOM)が3年ごとに開催する総会が開かれた。その時に開かれたシンポジウムで、国立中央博物館学芸研究室長だったイ・ヨンフン館長は、展示会を紹介する際に「韓国の国宝83号と日本の国宝1号の広隆寺の木造弥勒菩薩半跏思惟像が出会う展示会が行われれば、両国の緊密な文化交流を象徴する記念碑的な展示会になる」と提案した。

 今開かれている「韓日の国宝、半跏思惟像の出会い」は、こうして始まった。何回かの試みがされた後、3年前から2015年の韓日国交正常化50周年を記念する特別展として、二組の半跏思惟像の出会いを推進することで両国の国立博物館が合意した。だが広隆寺から出品の承諾が得れなかった。この仏像が寺の外に出されたことはないためだった。このため、同じ半跏思惟像として別の観点から重要な意義を持つ、国宝78号(左の写真)と一対を成す中宮寺の木造弥勒菩薩半跏思惟像(右の写真)との出会いを推進することになった。

 これら四つの半跏思惟像はすべて、西暦600年前後に韓日両国で製作されたものだが、前述の一対と後述の一対にはかなりの違いがある。国宝83号と広隆寺の半跏思惟像が理想の人間像として絶対者のイメージに近いとすれば、国宝78号と中宮寺の像には現世のイメージが強い。天上の弥勒が現世に現れたかのような姿は、それぞれ韓国人と日本人の姿を見せている。日本の仏像はこれを境に日本様式になっていく。中宮寺の仏像も海外の展示に出品されたことはなかったが、森喜朗元首相をはじめ各界の関係者らの懇願を寺が受け入れ実現した。

 中宮寺は法隆寺のすぐ傍にある寺院で、聖徳太子が発願した7大寺刹のうち唯一の尼寺だ。この寺には、622年に聖徳太子が死ぬと妃が極楽世界にいる夫を想い作った「天寿国曼茶羅繡帳」があることで有名だ。この刺繍の裏には高句麗の絵師、加西溢(カソイル)が下絵を描いたとする銘文が記されており、古代の韓日の文化交流を物語る。

 中宮寺の半跏思惟像は高さ168センチの等身大の黒漆木彫像として、平和な微笑にツヤのある黒い肌の美しさで知られる。100年前、日本の近代哲学者で文筆家の和辻哲郎は『古寺巡礼』でこの仏像を絶賛した。

 <あの肌の黒い光沢は実に不思議だ。この仏像が木でありながら青銅で作られたような強い印象を与えるのは、あの澄んだ光沢のためであろう。光沢が微妙な肉づきと体の凹凸を非常に繊細に生かしている。このため顔の表情が繊細かつ柔和に現れる。そっと閉じたあの目に染み込むほどの美しい愛の涙が、実際に輝いているように見える>

 和辻はこの木造の半跏思惟像に至り、日本の仏像彫刻は初めて朝鮮半島から伝わった渡来の様式を脱し、7世紀後半白鳳時代の「精妙な写実」へと進んだと述べた。しかし私には、まだ朝鮮半島の仏像の影響がありありと残る7世紀前半飛鳥時代の仏像に見える。

 和辻は終始一貫して、日本が仏教文化を独創的に作り上げていく過程を強調した。そして渡来様式の典型である法隆寺の百済観音にも日本化していく兆しを記録しようとし、アーネスト・フェノロサが法隆寺の夢殿観音を「朝鮮風」と考えたことに対し「誤り」と指摘した。日本の魂を訪ねようとする彼の見方だと、そう見えた。

 しかし、韓国人の私の立場からは和辻の誤りが見えてくる。法隆寺と中宮寺から「白鳳時代の貴公子」と呼ばれる「仏頭」を経てから、写実に満ちた日本の仏像の真の姿を見出せるようになる。まだその時ではない。中宮寺の半跏思惟像は最後の渡来様式である。この半跏思惟像以降に日本の仏像が変わりゆく姿を思えば、和辻の見解は正しい。だが、この仏像の造形的淵源を考えると、私の見解が正しいだろう。日本人の目にはその後が見つめられ、韓国人の私の目には、その源がなにより先に迫ってくる。だからこそ日本の中の韓国文化を訪ねる私の法隆寺の踏査は、中宮寺の木造弥勒菩薩半跏思惟像まで続いた。

 ところが遺物の場所性には実に妙なものがあり、日本で見る時はその様式の淵源が真っ先に迫ってくるものだが、こうして国立中央博物館で出会うと、仏像自体の本当に美しく神々しいイメージが迫り、和辻の以下の賛辞に共感を示すことになる。

 <私たちは我を失い眺めているだけだ。心の奥深くにひっそりとしまっておいた涙が流れ落ちるような気持ちだ。ここでは慈愛と悲哀が溢れている。真に至純な美しさで、また美しいという言葉では言い尽くせない神聖な美しさだ>

 そんな中宮寺の半跏思惟像が故郷と言える朝鮮半島に現れ、その源となる韓国の国宝78号と向き合うのを見ると、韓日古代文化の交流が再現されたような感慨にふけってしまう。1400年ぶりの出会いであるのだから。

 今回の特別展も12年前と同じ暗い空間に二つの作品だけを展示した。高さにほぼ倍の差があるため、国宝第78号が小さく見えないように10メートルの距離を置き向き合うよう配置された。そして普段は絶対に観ることができない仏像の後ろ姿まで見れる。木彫の仏像の保存のため照度を下げ、展示場には重い沈黙が流れる。このため、この静かの空間に漂う神聖なる神秘感の中で、私はしばらくそこを離れることができなかった。

 最近の韓国の美術界では西洋美術コレクションを誘致した商業的なブロックバスター展示会が幅を利かせているが、それとは質が異なる国立中央博物館だけにできる特別展だ。展示は両国国立博物館で3週間ずつ展示されることになり、今月12日まで開かれた後、日本に移され、6月21日から7月10日まで東京国立博物館で「ほほえみの御仏 二つの半跏思惟像」として展示が開催される。

ユ・ホンジュン明智大碩座教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:6月5日(日)7時23分

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