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鈴木IIJ会長、「NTTでなく、ネットを知る僕らの時代だと確信していた」

ニュースソクラ 6月6日(月)11時50分配信

「わが経営」を語る 鈴木幸一インターネットイニシアティブ会長兼CEO(1)

 インターネットイニシアティブの鈴木幸一会長兼CEO(最高経営責任者)は1992年12月に同社の前身であるインターネットイニシアティブ(IIJ)企画を設立、94年3月から我が国初の商用インターネット接続サービスを開始した。我が国初のデータ通信専門会社を設立して失敗するという挫折も経験したが、常に先導者としてネット社会を切り拓いてきた。その原動力になったのは、通信事業を革新したいという志とタフな精神力にほかならない。 (聞き手は森一夫)

――インターネットは今や社会的インフラとして、なくてはならないものになりました。しかし今一般にプロバイダーと言っている商用の接続サービスに鈴木さんが乗り出した22年余り前は、その将来性を大企業でさえよく理解していませんでした。目を付けたきっかけは何ですか。

 簡単に言えば、米国人に学んだのです。学生時代に、情報通信の新しい技術として興味を覚えたのが最初です。コンピューターと通信とは全く別々の技術だったのが、通信がコンピューターによってできるという実験を米国の雑誌で読んで、面白そうだと思ったのです。

 背景にはベトナム戦争がありました。僕らの大学時代には、日本でもベトナム反戦運動がありましたが、米国と比べたら深刻さが全く違う。向こうの若者は徴兵されたら意味もなく死に直面するわけです。徴兵を嫌ってシリコンバレーに集まってきた若者たちには一種の志があったんです。

 なぜ戦争を止められなかったのか。それは権力とマスメディアが一方的に情報を流して、一般の人はそれを受け取るだけだったからだ。この構造を変えるには、通信をオープンにして、いろいろな人が情報発信できるようにすべきだという思いが彼らにはありました。それがいわばインターネットの根源的なコンセプトなのです。

 ――米国のインターネットの深層に早くから触れていたのですね。
 
 しかもインターネットの開発はもともと、国防総省のカネでまかなわれていた。決断したのはコンピューターに傾倒したマクナマラ長官です。米国は懐が深いというのか、うかがい知れないところがある。国防総省の幹部が西海岸に来て、コンピューター科学者のダグラス・エンゲルバートと組んでカネを流した。だからインターネット技術の開発に取り組んだ若者たちは、ベトナムでナパーム弾の被害が将来どういう影響を及ぼすかというシミュレーションなどをやっているんです。

 ベトナム戦争の問題が収束すると、米国はインターネットを21世紀の覇権を握るための技術と位置づけて、世界に広げようと動き出しました。そこがのんきな日本とは違います。

――学生時代から問題意識を持ち、日本能率協会などをへて、最終的にインターネットによる通信で電話事業の巨人NTTを一気に超えようとしたわけですね。

 同じような議論は米国にいっぱいありました。米国によく行っていましたから、絶対そうなると思いました。石炭産業も石油産業に取って代わられた。これからはNTTではなくて、僕らの時代だと確信していた。インターネットの商用サービスに乗り出したのはうちだけでした。でもやるのが早かったので大変だった。無収入の時代が長すぎてね。

――92年にIIJをつくって、特別第二種電気通信事業者の登録を申請したけれど、通信は公益事業の分野ですから、郵政省はおいそれと認可しない。

 やろうと企画を練って会社を作り、通信事業者と認められて業務を始めて、おカネが入るまで1年8カ月くらいかかりました。不思議なのは、エンジニアなど社員がずっといてくれたことです。要するに実家に食わしてもらえる若者しか来てくれなかったんだね。

――みな志があったから残ったのですか。

 さあ、どうかな。僕は、「あれ面白そうだから、やろうよ」「これやろうよ」しか言わないからね。当初は事業収入が無いので、給料は結局、わずかな額しか払えません。社員から「今月はいくらくれるんですか」とか「これではクレジットカードの支払いができません」とか言われる。「バカ野郎、カネも無いのに、カードを使うな」なんて言って、夕方、鬱積するので、みんなを連れて酒を飲みに行くんです。

 居酒屋の「駒忠」に行って、腹の足しにもなるので焼うどんをつまみにとってね。飲み足りなくて、それから「養老乃瀧」にはしごする。当時、私はまだ40歳代だったから、安酒飲んでやっていた。

 新宿駅の西口にあるしょんべん横丁は朝の4時までやっているので、そこで始電まで飲み続けた。その間、仕事の話、インターネットの将来についての話ばかり延々とやっていました。酔うと、会社はこのままつぶれてしまうのではないかという不安を忘れられたからね。でも、あの頃はまいったな。

 ――よく資金が続きましたね。

 家も全部売り払って、つぎ込んだ。女房に黙って不動産会社に頼んで家を売って、「書類はこっちに送るなよ」と言っていたのに、間違えて送ってきてね。「これは何ですか」と女房に問い詰められました。そこで僕は論理的だから「君に相談してわかってくれるならするが、君がOKするはずがない。君に相談しても時間の無駄である」とか「僕は合理主義だ」とか言ったら、余計、怒らせちゃった。


■森 一夫(経済ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、日本経済経営研究所客員研究員、特別編集委員兼論説委員を歴任。著書に「日本の経営」(日経文庫)、「中村邦夫『幸之助神話』を壊した男」(日経ビジネス人文庫)など。

最終更新:6月6日(月)11時50分

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