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「画面から消える投手」誕生秘話 西武中崎の覚悟「生き残るために…」

Full-Count 6月7日(火)10時2分配信

“画面から消える”投球が話題に、サイドスロー転向で注目集める“崖っぷち”左腕の覚悟

 今、登板する度に注目度を高めているのが、西武の中崎雄太投手だ。

 今年3月から転向したサイドスローの左腕からボールが放られた瞬間、球場内は“ざわつく”。球の出所が見えない、打者から背番号が見えるほどの半身の体勢から、「今まで見たことない」と伝授した清川栄治2軍投手コーチが太鼓判を押す「超クロスステップ」で投げ込むのだ。

西武・中崎雄太の『画面から消える投手』動画

 そして、その遠心力により、最後は大きく一塁側に流れてフィニッシュ。その、あまりにもインパクトの強い投球フォームに、観客も相手チームベンチも目を奪われずにはいられないのである。テレビなどでも、『画面から消える投手』として取り上げられ、話題となった。

 キャンプ後から急きょ取り組んだフォーム改革が脚光を浴び、本人も「ありがたい」と話す。だが、その表情にはほとんど笑顔は浮かばない。というのも、今年でプロ8年目のシーズンを迎えた中崎の昨季までの7年間での1軍経験は、デビュー戦を含めた2013年での7試合のみ。特に昨年は、左手中指、人差し指、手のひらの血行障害を発症。実弟である広島・中崎翔太投手も同じ病を乗り越え、クローザーとして活躍する良き前例を励みに、8月下旬に手術に踏み切った。

「生き残るためにフォームを変えるしかない」。いわば、ラストチャンスともいえる、覚悟の決断なのである。「これで成功しないと、終わっちゃうから」。切羽詰まった自らの立場と真摯に向き合い、結果を残すために、ただただ必死なのだ。

 これまでも、何度もフォーム変更は行ってきた。サイドスローへの挑戦も、過去に一度あったという。だが、いずれも奏功せず、1軍で通用する形には固められなかった。しかし、今回は違う。挑戦して約1か月弱で、3シーズンぶりに1軍のマウンドに立つことが許されたのである。まず1つ目的をクリアしたことで、この決断は間違っていなかったと言っていいだろう。

「一番大きかった」清川コーチの存在、「僕は2番になってしまった(笑)」

 その裏には、ターゲットとするポジションを明確にしていたことと、清川コーチの存在が非常に大きい。

 己の特性とチーム状況を冷静に照らし合わせ、「先発は揃っているから不要。中継ぎでも、後ろは無理。となると、ウチは右の先発が多いから、左のワンポイントとして割って入れれば」と、最近のプロ野球ではめっきりと減った“ワンポイント起用”を自らの生きる道と定めた。2軍戦では、そのために求められるテーマに徹底的にこだわった。

「とにかく、打ち損じでもどんな形でもいいから、左(打者)だけは100%抑えられるようになろう。それだけを僕の売りにしよう」

 そして、ようやく手応えを感じたのが5月7日のイースタンリーグ・DeNA戦だった。6回から2人目でマウンドに上がり、先頭の筒香嘉智外野手を三飛。「日本代表のホームラン打者に対して真っ向から勝負でき、抑えられたことで自信になりました」。同12日に待望の1軍昇格の知らせを受けたのだった。

 さらに、8年目左腕が変革に踏み切るのに「一番大きかった」と感謝するのが、清川コーチだ。元々、『左のサイドスロー、クロスステップ』といえば、現役時代の同コーチの専売特許ともいえた。その熟練者から、体の使い方、構え、ステップ、シャドウなどを連日、時間の許す限り、つきっきりで伝授してもらえたのである。弟子となった中崎のサイドスロー転向について、師匠は次のように語る。

「投手の要素として、スピード、コントロール、タイミング、メンタルがある中で、スピードに目が行きがちです。でも、『タイミングをずらして、打つ形を崩すという道で生きていくのも投手やぞ』という話までは、中崎にしました。そこから、(転向を)決めてきたのは本人。決して強制したわけではありません。

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最終更新:6月7日(火)11時49分

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