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禁教下の日本訪れた伊宣教師、遺骨が照らす江戸時代のキリスト教

AFPBB News 6月8日(水)10時21分配信

(c)AFPBB News

【6月8日 AFP】イタリア人宣教師のジョバンニ・バチスタ・シドッチ (Giovanni Battista Sidotti)が日本にやって来たのは、キリシタン禁制下にあった1708年。南の小さな島に上陸した際、彼は着物姿で頭にはまげを結っていた。

 上陸後、シドッチはただちに捕らえられ、後に江戸へと送られた。当時、幕府はキリスト教が日本にとって脅威になると考えていたため、収容先の施設では捕まったキリシタンらに対する拷問も日常的に行われていた。

 歴史家らによると、シドッチはその学識をもって日本の西洋観の形成に貢献したとされる。だが、当時の日本は、禁教下にあり、宣教師であったシドッチは「切支丹屋敷(Kirishitan Yashiki)」に収容された。その晩年と死についてはこれまで謎に包まれていた。

 それから300年以上が経過し、都内から出土した人骨がシドッチのものでほぼ間違いないことがDNA検査で確認された。骨は2014年7月に建設現場で見つかったものだ。

 切支丹屋敷跡から見つかったのは人骨3体分。切支丹屋敷は江戸時代にキリスト教徒を収容するために設けられた施設で、現在はマンションが立つ。遺骨が見つかった場所は駐車場になっている。

 国立科学博物館(National Museum of Nature and Science)の研究者たちは、骨のかけらを慎重に、まるでジグソーパズルのようにつなぎ合わせた。高い精度が要求される作業は半年以上に及んだ。

 国立科学博物館の人類学者、篠田謙一(Kenichi Shinoda)氏は歯のDNAを分析し、3体のうちの1体の遺伝子型が現代のイタリア人と同じであることを突き止めた。

 日本の歴史資料によると、同屋敷に収容されていたイタリア人宣教師は、シドッチとジュゼッペ・キアラ(Giuseppe Chiara)の2人しかいない。後者については、84歳で死去した後に火葬されていると歴史資料にはある。そのことからも、見つかった遺骨が1714年に47歳で死亡したシドッチのものである可能性が非常に高い。

■世界観を変えたシドッチ

 1639年の鎖国以来、江戸幕府は外国の宗教が日本に入ってくることを恐れる一方で、西洋の学問や科学を積極的に取り入れようとしていた。

 シドッチの尋問を担当したのは、儒者で幕政の実力者、新井白石(Hakuseki Arai)だった。地理や語学、世界情勢への深い見識を持つシドッチには敬意をもって接したとされる。

 新井白石は、シドッチを助けようと動いたと言われている。しかし、切支丹屋敷で日本人の夫婦を洗礼した疑いが浮上し、シドッチは地下牢(ろう)に閉じ込められてしまう。

 その後、シドッチは地下牢で死亡した。ただ、研究者らによると、その詳細については分からないままだという。

 遺骨の鑑定作業を主導した早稲田大学(Waseda University)の谷川章雄(Akio Tanigawa)教授(考古学)は、新井白石の著書を例にシドッチが日本に大きな影響を与えたことを強調する。

 谷川教授は、幕政の実力者であった新井白石がシドッチから聞いた話を基に西洋に関する本を著したとしながら、シドッチから得た知識が日本の世界観を変えたことを指摘した。(c)AFPBB News

最終更新:6月9日(木)17時3分

AFPBB News

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

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昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。