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石川丈則「40歳、パラ初出場への道のり」

カンパラプレス 6月11日(土)11時0分配信

「パラリンピック」――30歳を過ぎたあたりから、追うことを止めた夢があった。いつの間にか、自分とは無縁の世界だと思い込んでいた。しかし、40歳となった今、その夢が現実になろうとしている。リオデジャネイロパラリンピックの推薦内定選手12人の中で、最年長にして初めて世界最高峰の舞台に挑むアスリート・石川丈則。その道のりを追った。

「思い出づくり」から始まった代表への道

 石川に転機が訪れたのは2011年4月。車椅子バスケを始めて12年目、35歳の時だった。翌年のロンドンパラリンピックの選考会を兼ねて行われた強化合宿に、初めて招致されたのだ。それは異例のことだった。
 「普通は、第一次、第二次と、段階を踏んでいくんです。でも、僕はそれまで一度も呼ばれたことがなかった。既に合宿は10回目を超えていましたから、呼ばれた嬉しさよりも、『なんで自分が?』という驚きの方が大きかったですね」

 石川を合宿のメンバーに推したのは、当時日本代表の指揮官を務めていた岩佐義明ヘッドコーチ(HC)だった。きっかけは、前年10月に行われた全国障害者スポーツ大会(全スポ)。その時目にした石川のプレーに、岩佐HCは心を動かされたという。

 「1.5点には藤井新悟というゲームメイクに長けた選手がいたのですが、彼とはまた違うタイプの1.5点の選手が欲しいなと思っていました。そんな時、全スポでタケ(石川)を見たんです。正直プレーに雑なところはありましたが、自分でゴールに向かっていく突破力がありましたし、何よりスピードがあった。決して優等生タイプではないのですが、何かやってくれるという期待感が持てる。そういう選手のように思えて、その場で合宿に呼ぶことを決めたんです」

 ところが石川ははじめ、断ろうと考えていた。「今さら」という思いがあったからだった。
 「若い頃は代表を目指していたこともありましたけど、なかなか芽が出ず、そのうち自分がやっている車椅子バスケと、代表とでは違う競技みたいに思えていたんです。それでいつの間にか、代表に対して興味がなくなっていた。だから合宿に呼ばれた時、『今さらオレがいったところで、何の意味があるんだろう』と思ったんです」
 それでも参加を決めた理由は「思い出づくり」。それ以上の気持ちは、その時はなかった。

 実際、合宿に参加してみると、戸惑いしかなかった。
 「みんなが第一次の合宿からずっと積み上げてきたことを、いきなりやれと言われても、何をどうすればいいかまったくわかりませんでした。それに、自分のチーム(パラ神奈川スポーツクラブ)と代表とでは、ローポインターの役割もまるで違った。正直、『オレには無理』と思いました。だから、好き勝手にやっていた感じでしたね」

 その“好き勝手”が、かえって石川らしさを引き出していたのだろう。岩佐HCも「タケの存在が、チームにいい刺激を与えている」と感じていたという。石川はその後も、強化合宿に呼ばれ、同年10月に行われたロンドンパラリンピックの予選(アジアオセアニアチャンピオンシップ)では、補欠メンバーに選出されるほどになっていた。

 合宿を重ねるにつれて、石川の気持ちも変化していった。
 「だんだんと代表でやっていることがわかり始めると、今まで知らなかったことをやることに面白さを感じ始めました。だから呼ばれる限り、とにかく頑張ってみよう、そう思うようになっていったんです」

 結果的に、2012年ロンドンパラリンピックでは国内待機の補欠メンバーに踏みとどまった。だが、これを機に、石川は代表への道を駆け上がっていくこととなる。

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最終更新:6月11日(土)11時10分

カンパラプレス

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