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【永島勝司特別寄稿】モハメド・アリと1995年の北朝鮮にてアントニオ猪木とともに…

バトル・ニュース 6/12(日) 21:50配信

 伝説の世界ヘビー級王者ムハマド・アリが3日(日本時間4日)にアリゾナ州の病院で74歳の生涯を終えた。蝶のように舞い蜂のように刺すと言われた天才ボクサーは、世界中に歴史を刻んできた。

 日本人にとって忘れられないのが76年6月26日のアントニオ・猪木との格闘技世界一決定戦だろう。当時その結果は「茶番劇」と言われたりしたが、猪木はこの一戦をカテとして世界中に名をとどろかせることになった。猪木にとっては運命の試合だった。
 俺がアリに初めて会ったのは94年アメリカ・コロラド州のデンバーだった。猪木、M・斉藤、通訳のケンさんと一緒に渡米した時。ホテルのフロアで猪木とアリは満面の笑顔で再会を喜んでいたのが強く印象的だった。

 俺と猪木は95年に北朝鮮で「平和のイベント」を計画していたが、その目玉ゲストとしてアリを招待したいと思っていた。当時アリはパーキンソン病で話すのも苦痛だったが、奥さんの「通訳」で話は通じた。帰りにアリが俺の耳を手繰り寄せ指を鳴らしてみせた。もちろん何を意味しているのかはわからなかったが、後でこれがアリの「今日はありがとう、よかったね」という意思表示だったと知った。
 それ以降、ニューヨークのホテルで2度アリと会った。もちろん猪木と一緒だったが、ここでもアリは俺の耳に指を近づけ鳴らしてみせた。そして遂にアリは北朝鮮に行くことを承諾してくれたのだ。猪木の熱意が通じたものだが、二人の信頼関係の深さと絆を改めて俺は知らされたものだ。

 95年4月、北朝鮮での平和イベント。その3日前、アリは他の日本VIPと共に平壌に降り立った。先乗りしていた俺は空港で出迎えたが、やはりここでもアリは俺の耳のところで指を鳴らしたのだから大感激だった。当初は奥さんも一緒のはずだったが(日本までは一緒に来ていた)、色々な事情から奥さんは日本に残った。
 北朝鮮の人にとっては、まるで信じられない事だった。「まさか、あの世界のアリが来るとは」もう記者会見から大騒ぎで、恐らく当時の金正日も得意満面だったろう。アリは平壌のゲストハウス近くの坂を登り切るほど体調良好で俺もほっとしたものだ。開会式で紹介されると19万人の津波のような大歓声が沸き起こった。

 アリは帰国するとき「大変楽しかった。猪木は素晴らしい事をやり切った」と通訳を通して言ってくれた。俺は以来アリのことを「グレーテスト」と呼んでいた。その後も98年の東京ドームでの猪木の引退試合の時も俺はアリを招待した。一発でOKをもらい、アリにはアトランタ五輪と一緒の「聖火」役を頼んだ。ステージに組んだ猪木の引退聖火台に、アリが震える手で点火してくれたのだ。
 俺は涙が出て仕方なかった。猪木も「永島よかったよ」と喜んでくれたが、アリの気持ちには大感謝だったな。
 これがアリと会った最後になったが、どうかグレーテスト・アリよ、ゆっくり休んでください。本当にありがとう。

最終更新:6/12(日) 21:50

バトル・ニュース