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鳥栖スタジアム20年 サッカーと歩み サガン鳥栖

佐賀新聞 6月12日(日)19時50分配信

 サッカーJ1・サガン鳥栖の本拠地「鳥栖スタジアム」(ベストアメニティスタジアム)が16日、完成して20周年を迎える。Jリーグ創設から3年後の1996年に旧国鉄の操車場跡地に誕生以来、チーム運営会社の解散、悲願のJ1昇格などの歩みを見守ってきた。市民の期待と不安が交錯する中で生まれた巨大なサッカースタジアムは、国際Aマッチやオリンピック予選が行われるなど鳥栖市の揺るぎないシンボルに成長している。

 スタジアム誕生のきっかけは30年前の86年にさかのぼる。旧国鉄の分割民営化に伴いJR鳥栖駅東側の広大な操車場跡地が売却されることになり、市では跡地活用とその中核に何を据えるかが議論となった。当時の山下英雄市長(故人)は欧州視察でワールドカップ・イタリア大会を目の当たりにして、サッカー時代の到来を予感する。91年にプロサッカーチームのホームタウン誘致とスタジアム建設が浮上した。

 その時、市企画課長だった篠原正孝さん(69)は「スタジアムは最初、福岡市の会社が造る予定だった。しかし、途中で頓挫。ホームタウン誘致の絶対条件だったので、やむなく市で造ることになった」と奔走した日々を振り返る。

 スタジアム建設の総事業費は97億円。市の年間予算の半分を超える大型事業に当初は市議会や市民から「なぜサッカー場を」「市財政への影響は」などの厳しい声が寄せられた。94年12月に着工、96年6月に完成した。

 スタジアムは面積3万6千平方メートル。1、2階が鉄筋コンクリート造り、3階が鉄骨造り。収容人員約2万5千人。スタンドの屋根を支える鋭く尖った鉄骨の柱は、「弥生の里」と言われる地元で出土した細形銅剣をモチーフにデザインされた。観客席の傾斜角度は40度。ピッチを真下に見るような勾配で試合が見やすく、ベースボール・マガジン社の「週刊サッカーマガジン」は特集「世界のスタジアム49選」でその一つに選んだ。

 しかし、J1への道のりは長く苦しいものだった。スタジアム完成からわずか7カ月後、経営不振から「鳥栖フューチャーズ」の運営会社が解散。存続を訴えるサポーターが署名活動を展開し、Jリーグの支援もあって新しい運営組織サガン鳥栖が発足した。その後、現在のサガン・ドリームスに引き継がれ、スタジアム誕生から16年目の2011年12月3日、ロアッソ熊本とのリーグ最終戦に引き分けて悲願のJ1昇格を決めた。建設に携わった関係者、サポーター、市民らの汗と涙、そして夢が結実した瞬間だった。

 スタジアムの15年度までの延べ入場者数は347万人。最多観客試合は14年7月23日の対川崎フロンターレ戦で2万3277人。山下市長と一緒によく観戦していた長男の正剛さん(60)は「いつも観客が少なく、3階席まで埋まる日が来るだろうかと思っていました」。サッカーによる地域振興に情熱を燃やした亡父の姿を思い浮かべ、J1で戦い続けてほしいと願う。

最終更新:6月12日(日)19時50分

佐賀新聞

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