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神山町の空き家再生がヴェネチア・ビエンナーレへ!快挙の建築が生まれるまで。/徳島

Webマガジン コロカル 6月13日(月)15時59分配信

リノベのススメ vol.113

コロカル・Web連載【リノベのススメ】とは?
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。4つの都市から週替わりでお届けする、リノベーションの可能性。今回は、東京・吉祥寺に事務所を構え京都の大学で教鞭をとるかたわら、全国の過疎地域で空き家のリノベーションに取り組む、建築家・坂東幸輔さんに担当していただきます。

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ボンジョルノ~!建築家の坂東幸輔です。第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展が5月28日から始まりました。ビエンナーレの日本館の展示に私が主宰する建築ユニット〈BUS〉が出展しています。〈BUS〉は現在、私と須磨一清、伊藤暁(2011年加入)の、3人で構成されている建築ユニットです。東京にそれぞれの設計事務所を持っていますが、神山町ではBUSの名義で活動しています。

先月、準備やレセプション出席のため、ヴェネチアを訪れていました。

今年のビエンナーレ全体のテーマは「REPORTING FROM THE FRONT(前線からの報告)」、日本館は「en[縁]:アート・オブ・ネクサス」というテーマで展示をしています。

新しい世代の12組の日本人建築家の作品を展示することで、現代の日本の社会問題を建築の力で解決した事例を紹介しています。日本館の展示は大成功、国別参加部門で約60か国の中で第2席となる審査員特別表彰を受けました。

私たちのBUSは神山町プロジェクトの代表作、〈えんがわオフィス〉〈KOYA〉〈WEEK神山〉の映像作品を展示しています。3つのプロジェクターを使って、3面の壁に神山の豊かな自然の中にあるそれぞれの建物の映像を投影することで、まるで神山町にいるかのような臨場感を体験できる展示になっています。映像制作は菱川勢一さん率いる〈DRAWING AND MANUAL〉が担当、彼らも神山町にサテライトオフィスを構えており、神山町のご縁が生んだチームでの展示になりました。

展示は11月27日まで行われていますので、ぜひこの機会にヴェネチア・ビエンナーレを訪れてみてください。


■神山町の空き家再生の始まりは

さて、展示されている神山町のプロジェクトはどのように始まったのか。vol.1ではハーバード大学からリーマンショックを経て、無職になった私と神山町との出会いについて書きました。今回は小さな空き家の改修から始まった神山町プロジェクトが、どうしてヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展に出展するまでに成長したのか、そのきっかけについて紹介したいと思います。キーワードは「人の縁」です。

2008年10月に無職の私が神山町と出会ってから約1年半後、2010年4月に東京藝術大学の教育研究助手に着任したことを〈NPO法人グリーンバレー〉の大南信也さんに報告したことから神山町での空き家改修のプロジェクトが始まります。最初のプロジェクトは、クリエイターが神山に滞在して作品制作するための拠点〈ブルーベアオフィス神山〉です。

「学生たちを神山に連れてきて、空き家を再生してくれませんか」

そう、大南さんからメールをもらい、さっそく空き家改修のプロジェクトチームを結成しました。東京藝大の学生たちを集めると同時に、ニューヨーク時代に出会った建築家の須磨一清さんに声をかけました。BUS(元・バスアーキテクツ)結成の瞬間です。

須磨さんは慶応義塾大学SFCを卒業後、ニューヨークにあるコロンビア大学で修士号を取りました。出会った頃はまだニューヨークの設計事務所で働いていました。私と須磨さんはお互いの奥さんがきっかけで知り合ったのですが、アイビーリーグ出身同士気が合ったのか、一緒にコンペに挑戦するような仲になりました。須磨さんの奥さんが妊娠したことで、私と同じ時期にニューヨークから日本に帰ってきていました。田舎での暮らしを体験したことがない東京生まれの須磨さんは山の中にある神山町に滞在して空き家改修に参加することにとても乗り気でした。


■限られた予算と、初めての現場

2010年8月、夏休みの1か月間に須磨さんや大勢の学生たちと神山町に滞在し、築80年の長屋の一角の空き家を改修して、〈ブルーベアオフィス神山〉を完成させました。地域の大工さんに協力してもらいながら、建物の解体や壁のスギ板張り、塗装や漆喰塗りなど自分たちで施工できる部分はDIYで工事を行いました。

これまでペンキ塗りくらいは自分でしたことがあっても、初めてやる作業が多く、工事が本当に終わるのか心配でした。さらに自分にとっての初めての作品になるので、デザインも妥協できません。

しかも、田舎の大工さんは図面や模型をきちんと見てくれません。彼らとのコミュニケーションが最も大変で、大工さんが勝手に工事したところを、後で学生たちと解体するといったピリピリするやり取りもありました。

予算も少なく、工事も自分たちでしなくてはいけない、しかも大工さんは言うことをなかなか聞いてくれない。条件のいいプロジェクトだったとは言えません。でも、当時は初の建築作品をつくりたいという必死の思いがあったんだと思います。

たくさんの人手には恵まれました。大勢の学生たちが神山町を訪れてくれ、地域の人や道行く旅人まで、工事に手を貸してくれました。なんとか、大工さんとも理解し合い建物も無事完成しました。

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最終更新:6月13日(月)15時59分

Webマガジン コロカル