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島の名将、最後の夏「甲子園へもう一度」 八重山商工の伊志嶺監督

沖縄タイムス 6月16日(木)6時6分配信

 全国の離島勢で初めて自力で甲子園切符をつかみ、アルプスを沸かせた名将が今夏で勇退する。八重山商工高の伊志嶺吉盛監督(62)は、ロッテの大嶺祐太投手らを擁した2006年に春夏連続で甲子園に出場し、八商工の名を全国に知らしめた。18日開幕の県大会では、初戦で八重山と戦う。勝てば八商工前部長の真玉橋治監督率いる糸満とだ。「八重山勢は今が一番いいレベルにきている。どれだけ力がついたかを見せたい」。有終の舞台を前に、胸は高鳴るばかりだ。(我喜屋あかね)
 伊志嶺監督自身、幼いころからずっと甲子園に憧れてきた。小学5年から始めた野球。中学3年の時、「興南旋風」に衝撃を受けた。進学した八重山農林高では、周囲に笑われても「甲子園」と叫びながら練習に明け暮れた。
 指導者になり、八島マリンズ、八重山ポニーズを経て03年4月、八商工監督に就任し翌年、大嶺らが入部した。小学生から手ほどきしてきたメンバーだったが、「高校に入ると、手の抜き方を覚えていた」と振り返る。
 そこで、朝練に遅刻する選手を家まで起こしに行った。サボらないようにと自宅に泊めたこともある。グラウンドには「ばかたれ、真面目にやれ」との怒鳴り声が響いた。
 選手たちに変化が現れたのは県外遠征からだ。強豪校はグラウンドでのマナーや動き、全てが上だった。「競争心が芽生えた。意識が足りなかったことを実感したんだろう」
 そして就任から4年目の春。自身も夢だった舞台に立った。「ここがあの甲子園か」。ベンチから見る球場の広さに圧倒され、思わずグラウンドをなでた。「八重山にとって『甲子園は夢のまた夢』『百年たっても無理』と言われていたけれど、やればできると思っていた」と力を込める。
 今も毎朝4時半、誰よりも早くグラウンドに立つ。勇退が決まってから、ここで物思いにふける時間が増えた。選抜決定の吉報はこのグラウンドで聞いた。多くの住民に囲まれ、選手たちに胴上げされた時のうれしさは今も忘れられない。
 「昔より丸くなった」と笑うが、愛用の青いメガホンでげきを飛ばす姿は変わらない。「指示されて動くのではなく、自分で考えないと。怒られて『何くそ』と思ってくれれば」。仲嵩勇雅主将は「監督の指摘は当たっていることばかり。野球では怖いけど、面白くて優しい」と慕う。
 野球に支えられてきた62年間。仕事を転々とした時期は草野球に熱中し、八商工監督就任時、部員が2人しかいなくなった時もグラウンドに立ち続けた。「小さいことの積み重ね。頑張っていたから甲子園に行けた。野球の神様は見ていてくれた」と話す。
 集大成の夏に、もう一度あの大舞台へ。島の名将は、ナインと一緒に最後の夢をつかみにいく。

■八商工超えで恩返し 1回戦で対戦、八重山の仲里監督

 八重山高の仲里真澄監督は「伊志嶺監督は、離島からでも頑張れば甲子園に行けることを教えてくれた功労者。八商工がいたから八重山も強くなれた」と感謝する。
 八重山に赴任して7年目。早朝4時半、球児よりも早くグラウンドに出る伊志嶺監督を見て、野球に取り組む姿勢を学んだ。練習量でかなわない分、どうしたら勝てるかを考えたという。
 4月に部内で問題が起きた時、真っ先に電話をくれたのが伊志嶺監督だった。「『今はつらいが、時間が解決してくれる』と励まされた。涙が出そうなくらいありがたかった」と語る。
 18日の1回戦、くしくも八商工と激突する。「八重山が甲子園に行くためには、八商工を超えなければならないというメッセージ。伊志嶺監督の節目の夏、全力で勝ちに行きたい」と真っ向勝負を挑む。

最終更新:6月16日(木)17時49分

沖縄タイムス