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P.M.ドーンのプリンス・ビーが亡くなる

bmr.jp 6月18日(土)19時10分配信

P.M.ドーンのプリンス・ビーが亡くなる

P.M.ドーンのプリンス・ビーが亡くなる

全米チャート1位を獲得した“Set Adrift On Memory Bliss”などのヒットで知られ、90年代に活躍した兄弟グループのP.M.ドーンのメンバーであるプリンス・ビーが亡くなったことが発表された。46歳だった。糖尿病を患っていたという。

プリンス・ビーことアトレル・コーズは、現地時間の6月17日、地元ニュージャージー州の病院で亡くなったという。彼の代理人がPEOPLE誌に対し、事実であることを認めた。糖尿病を患っており、腎疾患などに苦しんでいたとのこと。従兄弟であり、P.M.ドーンのメンバーに加わっていたドック・Gが米Billboard誌に明かしたところによれば、プリンス・ビーは眠ったまま息を引き取ったという。またP.M.ドーンのFacebookページで公開されたドック・Gのコメントには、「プリンス・ビーよ、安らかに。これで糖尿病による痛みが君を苦しめることはないね。俺も安らかな気持ちだ。なぜなら君はずっと長いこと苦しんでいたから」などと綴られており、闘病生活が長かったことが窺える。

プリンス・ビーは2005年に脳卒中で一度倒れ、半身に麻痺が残ったと報じられており、この脳卒中は糖尿病の合併症であったと見られている。2011年にシアトルの新聞が行ったドック・Gのインタビューでも、彼はプリンス・ビーの容態について「正直、厳しい状態が続いている。ここ最近はあまりよくない」、「左足の一部が壊疽し始めているんだ」と話していた。

この訃報に、ジャスティン・ティンバーレイクはTwitterで、「嘘、プリンス・ビーも??? 今年はクレイジーだ。あまりにも早い死だ。安らかにお眠りください。あなたからは多大な影響を受けました。私だけでなく多くの人たちが」と驚きと共に追悼のコメントを綴っている。また、クエストラヴが、「プリンス・ビーはヒップホップ界のブライアン・ウィルソンになれたかもしれなかった人」などと綴ったほか、MC・ハマーなど数多くのアーティスト、有名人が彼の死を悼んでいる。

P.M.ドーンは、プリンス・ビーことアトレルと、DJミニットミックスことジャレットのコーズ兄弟によって80年代後半に結成されたグループ。1991年にデビュー・アルバム『Of The Heart, Of The Soul and Of The Cross: The Utopian Experience』を発表すると、スパンダー・バレエの83年ヒット“True”などをサンプリングした“Set Adrift On Memory Bliss”が話題を呼び、全米チャート1位、全英チャート最高3位のヒットを記録。

ラップ・グループとして紹介されることも多い彼らだが、1992年に映画『ブーメラン』のサウンドトラックに提供し、全米チャート最高3位のヒットにもなったR&Bバラード“I'd Die Without You”のように、プリンス・ビーはラップだけでなくその歌声も得意としていた。またDJミニットミックスによってビートルズ、モンキーズ、ディープ・パープル、クラフトワーク、チック・コリア、中村照夫など多彩な楽曲をサンプリングし、P.M.ドーンはヒップホップ、ソウル、R&B、ポップを縦断して活躍したグループだった。“I'd Die Without You”は後にブランディ、チャイルディッシュ・ガンビーノらもカバーしている。

1995年の3作目『Jesus Wept』のセールス不振もあって徐々に活動は停滞していき、一時は表舞台から消えるが、「かつてのスター」たちが登場し、自身のヒットと、他のアーティストによる近年のヒットのカバーを披露して競うTV番組『Hit Me, Baby, One More Time』に2005年に出演。出演前にはプリンス・ビーが脳卒中で倒れ、麻痺が残っている状態だったものの、DJミニットミックス、そして新たに加入したドック・Gの支えもあって共に出演、見事に勝利を手にし、話題になった。だが、プリンス・ビーの病状は悪化し、DJミニットミックスはソロ活動のためにグループを脱退。以降のP.M.ドーンはドック・G主導のプロジェクトとなっていた。

最終更新:6月18日(土)19時20分

bmr.jp