ここから本文です

偽りの記憶が「史実」になる恐れ 戦争証言とメディアの責任

BuzzFeed Japan 6月19日(日)6時0分配信

戦後71年。戦時下を生きた人々が次々と亡くなり、当時の体験を聞ける機会が減っている。戦争の悲惨さを伝えようと、メディアは生存者の証言を取り上げるが、史実と異なる内容が掲載される危険性も高まっている。【BuzzFeed Japan / 井指啓吾】

4月11日に千葉日報オンラインが掲載した記事は「我々はモルモットだった」と題し、太平洋戦争開戦直前の1941年、当時13歳だった証言者による体験談が綴られている。

この記事の中で、証言者は旧日本軍が1942年から1944年にかけて実施した「遣独潜水艦作戦」の実験台になったと話している。

愛知・蒲郡からシンガポールまで木造船で渡り、そこから12~13人乗りの「ロ号潜水艦」に分乗して、ドイツへ。現地で、ドイツ製品収集の指令が下された、という内容だ。

記事が掲載されると、Twitterにはその内容の真偽を疑う声があがりはじめた。軍事にくわしいブロガーのdragonerさん(@dragoner_JP)がそれらをまとめて公開している。

BuzzFeed Newsはナチス・ドイツの政治外交史の研究者で、3月に『ドイツ軍事史――その虚像と実像』を上梓した大木毅氏に取材した。

大木氏は「記事を見て唖然としました。こんなものを世間に広げようとするのはおかしい」と話す。

大木氏は「証言者に非はなく、裏を取らずに聞いたままを記事にしたメディア側に責任がある」と前置きした上で、おかしな点を次のように指摘する。

・1941年当時、シンガポールはイギリス領だった。なぜ、日本の秘密任務の潜水艦がそこから出港できるのか。

・日本の潜水艦が、いつ建造されて、どこで沈んだのかは史資料で特定できる。「12~13人乗りのロ号潜水艦」は存在しなかった。なお、遣独潜水艦作戦で使用されたのはロ号潜水艦よりも排水量が多い「伊(イ)号潜水艦」だった。

・どこの国の海軍でも、潜水艦の運用は難しく、乗員には高度の訓練を受けた精鋭が選ばれる。数か月ほどの訓練を受けた子どもが動かせるものではない。ましてや、ベテランの乗員をもってしても困難だった遣独航海など、まず不可能であろう。

・当時のドイツには、日本の駐在武官や外交官、商社マンがいた。わざわざ潜水艦で子どもを送り込んで、ドイツ製品を収集させる必要性がどこにあるのか。

・「訪日したヒトラーユーゲント(青少年教化組織)の答礼として派遣された」とあるが、なぜ外交儀礼を秘密にする必要があったのか。そもそもヒトラーユーゲントの訪日は1938年のこと(同年に大日本連合青年団が代表団をドイツに送っている)、1941年にその答礼をするというのは解せない。

・大規模な作戦であるにも関わらず、戦後71年経つ今、日本側にもドイツ側にも、この作戦に関する文書、関係者の証言がほかに何も残されていない。

「歴史的に見ると、おかしいことだらけ。史資料にあたってチェックしなくとも、常識的に考えられないことまで含まれています。ただ、この証言者には、練習航海の経験がある可能性が高いと思います。おそらく、自身の経験と、戦後に触れた本や映画などの内容が混ざってしまっているのではないでしょうか」

1/3ページ

最終更新:6月19日(日)13時15分

BuzzFeed Japan