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[コラム]反北朝鮮イデオロギー、もう一つの人種主義

ハンギョレ新聞 6月19日(日)14時36分配信

 北朝鮮住民に対する人権侵害を当然視する態度は、いつか「第2のキム・リョンヒ」を生むだろう。今、私たちの目の前で起きている「柳京レストラン従業員集団亡命」事態は、「第2のキム・リョンヒ事態」になるという不幸な予感をぬぐい去ることができない。
 「後進国国民」は経済的利用の対象であり、特に「後進国」居住同胞は文化や宗教など間接的手段を通した内面中心の「同化政策」の対象だ。北朝鮮も「後進国」に分類されるが、存在が許されない、必ず滅びなければならない、「ウリ(私たち)」がいつか接収しなければならない国だ。


 キム・リョンヒという人がいる。私たちはよく「拉北者」(北朝鮮に拉致された人)という言葉を使うが、彼女を「拉南者」と表現しても過言ではない。肝硬変を患い、治療のために中国に行った平壌(ピョンヤン)住民キム・リョンヒは、2011年に脱北ブローカーにだまされ韓国に来た。金を稼いで治療を受け、再び平壌に戻る計画だったが、不本意に「脱北」として処理され、韓国という「大きな監獄」から出られなくなった。彼女は今、国連自由権規約委員会などの国際機構に対し、自身を抑留している韓国政府を告発し本国帰還権を奪取するために闘っている。国際人権法上、彼女に本国帰還権があるということは当然の道理だ。世界人権宣言(13条2項)によれば、すべての人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有すると明記されているためだ。ところが、彼女に加えられている不法抑留に対して、韓国の人権保護機構も主流マスコミも無関心でいる。

 北朝鮮住民に対する人権侵害を当然視する態度は、いつか「第2のキム・リョンヒ」を生むだろう。人権侵害が是正されなければ、いつでも同じことが繰り返されるためだ。今、私たちの目の前で起きている「柳京レストラン従業員集団亡命」事態は、「第2のキム・リョンヒ事態」になるという不幸な予感をぬぐい去ることができない。入国してからすでに2カ月が過ぎた12人の女性従業員は、これまで韓国社会からも徹底的に隔離されてきたし、彼女らの家族から面会委任状を受けた「民主社会のための弁護士会」(民弁)統一委員会の面会要請も当局に拒絶された。彼女たちが「誘拐拉致された」という北朝鮮当局の立場や、韓国に永住することになるという事実を十分意識していない状態で、男性支配人について韓国に向かったという一部の推測を無条件に受け入れるに足る確証はまだないとしても、不思議なことに時期的に総選挙に合わせた彼女たちの韓国行きが、必ずしも自由意志にだけ基づいたものではない可能性を排除することは困難だ。もしそうならば、大韓民国は人身売買という凶悪犯罪に関与していると見なければならず、軽視できる問題ではない。それでも、主流マスコミや人権保護機構はこの事態に対してほとんど関心を示さない。北朝鮮住民たちの人権に対するこの無関心の根は果たしてどこにあるのか? それを理解するためには、私たちは先ず韓国主流の全般的対外観を概観し、その対外観の中での北朝鮮の位置を考察してみる必要がある。

 いかなる階級社会もすべて位階的だが、韓国社会のようにすべての構成員が一列にならばせられている、画一的に位階化された社会も珍しい。学歴、財力、そして雇用形態や職場での職級などにしたがって、すべての韓国人が一つの大きな社会的な梯子のどこかに置かれていて、自分たちの位置を常に意識している。そうした社会であるだけに、その対外観も徹底的に位階秩序的だ。韓国人にとっては一般的な「外国」という概念はない。常に羨望し移民してでも行きたい「先進国」がある一方で、「70年代の韓国のようだ」と見下して、セックス観光をしてもかまわないと認識する「後進国」がある。「先進国国民」と「後進国国民」に対する「接待」は当然(?)雲泥の差だが、一つ共通点があるとすれば、それはまさに適当な距離感だ。基本的に「私たち」と「他者」の間の関係は経済的関係であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 もちろん-韓国のマスコミが好んで使う軍事主義的口調を借りれば-韓流歌手が東南アジアのある国を「平定」し、そこのファンの心を「征服」するなら、マスコミはこぞって快哉を叫ぶ。ところが、韓流による「征服」というものは、あくまでも韓国商品に対する販促戦略という点も皆よく知っている。「他者」が「私たち」になろうとするなら、すなわち外国人が帰化しようとするならば? その出身国家の「位置」と本人の学歴や財力に応じて韓国社会の位階秩序内に編入され、韓国語や日常的礼儀の習得を要求されるが、その程度で終わってしまう。帰化人の内面世界まで韓国社会は「征服」するつもりは毛頭ない。例えば、ベトナムや中国出身の帰化韓国人が、本国の共産運動の歴史などに対して持つ見解に対して、韓国社会が若干でも関心を見せるだろうか?

 「私たち」と血統が同じ海外同胞だとしても、主に経済力による上位序列化は概して「他者」の場合とまったく同じだ。在日、在米、在欧同胞は、大概において資本や技術の保有者と認識される反面、在中、在旧ソ連の同胞は「低賃金労働予備軍」と見なされ、それに相応する「接待」を受ける。ところが「私たち」の血統である場合、その内面まで統制してみようとする欲望は、大韓民国主流勢力にあってはるかに強い。世界第2位の宣教師派遣国家である韓国の、海外宣教師派遣現況は現時点で171カ国2万7205人にのぼるが、その重点事業の一つは「同胞布教」だ。そうした布教は一面では宗教行為だが、同時に布教対象者に「母国」としての韓国の地位を注入し、その文化や理念的「常識」を受け入れさせる。韓国政府による各種の同胞関連事業から影響を受けて、宣教師の影響圏に吸収された海外同胞たちは、韓国の「成長」を民族現代史の核心的事実として認知すべきで「富」と「神の祝福」と「民族の自負心」を同一視しなければならない。

 米国の保護下で素早く金持ちになることが民族史の幸せな帰結点という「私たちの常識」を最後まで拒否するならば? それなら次の手続き破門だ。最後まで「韓国国籍者」にはならないという朝鮮籍の在日同胞は、李明博(イミョンバク)執権以後の保守政権下で韓国入国を拒否され続けたではないか? 最近入国を拒否されて話題になった有名な在日作家の金石範氏のように、朝鮮籍は多くの場合に南北分断政権からの「中立」と統一の願いを抱いているにすぎず、韓国に対する特別な拒否意思を意味しないにもかかわらずだ。「私たち」の主流の目には「中立」ということは不可能で「我が民族」の構成員としては「私たち」の側でなければ「北朝鮮側」になってしまう。この幼稚な「こっちとあっち」は「私たち」の同胞観の骨格だ。

 「後進国国民」は経済的利用の対象であり、特に「後進国」に居住する同胞は、そこに文化や宗教など間接的手段を通した内面中心の「同化政策」の対象でもある。北朝鮮も韓国の主流によって「後進国」に分類されるが、北朝鮮に対する態度は質的にまた異なる。開城(ケソン)工業団地のような形態で対北朝鮮経済利用も一時試みられ、また韓国大衆文化の流入による北朝鮮社会の内面的変化も韓国主流により期待され続けてきたが、基本的には韓国の主流にあっては、北朝鮮は存在してはならない、必ず滅びなければならない、「私たち」がいつか接収しなければならない国だ。「後進国」だが、当面の経済的利用や文化輸出は別にして、いつかは「私たち」によって植民化(吸収統一)しなければならない世界唯一の国だ。北朝鮮がいつかその国際的主体性を喪失しなければならない以上、「私たち」は今でも個別的北朝鮮住民の個体的主体性は無視してもかまわないという無意識を強く持っている。事実、私たちが見ようとしない「キム・リョンヒ事態」の本質は、まさにそこにある。率直に言おう。「まともな精神状態の人」が5年も韓国で暮らして、再び「生き地獄」の北朝鮮に行くために全力で闘っているという現実を、私たちが信じられず理解できないのではないか? ある人にとっては「暴政の暗黒」である北朝鮮の方が韓国よりはるかに暮らしやすい地だという事実を、とうてい受け入れられないのは「私たちの通念」上、避けられないことであるようだ。

 「私たち」の対北朝鮮観は、欧米圏の古典的人種主義をそっくりまねている。「私たち」は北朝鮮人の主体性を完全に否定し「劣等な彼ら」が「優れた私たち」のように同化されることを強要するだけで、最後まで北朝鮮人を完全な同類として受け入れようとはしない。こうした対北朝鮮観が本質的に修正されない以上、すなわち韓国人が北朝鮮人を一つの独歩的で価値ある文化を生み出した同等なパートナーとして考えられるようにならない限りは、南北関係、ひいては朝鮮半島の未来は絶望的と言わざるを得ない。

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) オスロ国立大教授・韓国学(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:6月19日(日)14時36分

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