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<Wコラム>朝鮮王朝おもしろ人物列伝(鄭蘭貞編)~低い身分から成り上がった悪女・鄭蘭貞

WoW!Korea 6月20日(月)17時37分配信

朝鮮王朝518年の歴史の中で8回も王の母による代理政治である垂簾聴政が行なわれた。13代王・明宗(ミョンジョン)の母親である文定(ムンジョン)王后も、それを行なった1人だ。そんな彼女を陰で支えた人物がいる。それが、「朝鮮王朝3大悪女」の1人に数えられる鄭蘭貞(チョンナンジョン)だ。波乱に満ちた鄭蘭貞の生涯を順に辿ってみよう。

■厳しい境遇が“悪女”を生んだ

 「朝鮮王朝3大悪女」の1人として知られる鄭蘭貞は、役人の父と賤民(チョンミン)の妾だった母親から生まれた。当時の朝鮮王朝では、賤民の子は生まれながらに賤民であり、幼少期は辛い生活だった。鄭蘭貞は低い身分から抜け出すために、権力のある男性と結婚して、辛い境遇の改善を夢見ていた。こうして、鄭蘭貞は出世しそうな人物を探して妓生(キーセン)になった。

 優れた容姿をもっていた彼女はすぐに評判となり、自分を求めてくる客の相手をしながら、目当ての男性を探し続けた。そこで出会ったのが、尹元衡(ユン・ウォニョン)だ。

 尹元衡は、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の王妃である文定王后の弟で、姉の後押しを受けて高官に上りつめた人物だ。彼は、一目で鄭蘭貞の美貌の虜となった。

 その後、鄭蘭貞はもくろみ通りに尹元衡の妾になることができたが、彼女は妾のままで終わろうとは考えていない。彼女はさらなる飛躍を求めたのだ。

■鄭蘭貞の暗躍

 さらなる立場を欲した鄭蘭貞は、文定王后に取り入ろうと画策。文定王后の代わりに汚れ役になる決意を固めた。

 鄭蘭貞が目を付けたのが、文定王后最大の悩みである王位継承問題への介入だった。

 当時、王の後継ぎである世子(セジャ)として指名されていたのは、中宗の二番目の王妃・章敬(チャンギョン)王后の息子だった。文定王后は大変な野心家で、自分の息子を王にしたいと思っていた。そのためには、世子の存在が邪魔だった。

 文定王后の意を汲んだ鄭蘭貞は、世子を排除しようと動き出した。こうして、彼女は生きたネズミを捕まえると尻尾に火をつけて世子の屋敷に放った。世子は無事に逃げ出すことができたが、屋敷には燃え尽きたネズミの死体が見つかった。

 すぐに王宮で犯人探しが始まった。その際に一番迅速に動いたのが文定王后だ。彼女は、中宗が寵愛していた側室の敬嬪朴(キョンビンパク)氏の名前を犯人として挙げた。敬嬪朴氏は無実ではあったが、王妃である文定王后の言葉は重く、敬嬪朴氏は追放されてしまう。

 一方の鄭蘭貞は、世子を亡き者にすることは失敗したが、敬嬪朴氏を追い出すことに成功した功績が認められた。そして、自身の野望を叶えようとする文定王后に重用されたのである。

■後ろ盾を失った鄭蘭貞の最期

 1544年、中宗が56歳で世を去ったため、二番目の王妃である章敬王后の息子が12代王・仁宗(インジョン)として即位した。しかし、仁宗は、王になってから1年も経たずに亡くなってしまう。彼には後継ぎとなる息子がいなかったので、文定王后の息子が13代王・明宗となった。

 明宗はまだ11歳と幼いため、文定王后が代わりに政治を仕切る垂簾聴政を行ない、自分の一族や部下たちに高い官職を与える。弟の尹元衡もその恩恵を受けて、強い権力を手に入れた。すると、彼は鄭蘭貞を妻として迎えるために、自分の妻を殺害した(一説では、鄭蘭貞が追い出したとも言われている)。しかし、賤民出身の彼女が高官の妻になるのは、本来なら認められない行為だった。

 そこで、尹元衡は姉の文定王后の力を借りて、朝鮮王朝時代の厳しい身分制度を覆した。こうして、鄭蘭貞は尹元衡の正妻となり、賤民出身でありながら王宮への出入りが自由にできるようになった。

 ついに最下層の身分から高い地位にまで上りつめた彼女は、文定王后と尹元衡という強力な権威をつかって、王宮の経済を牛耳るなどやりたい放題に振る舞った。

 絶大な力を手に入れた鄭蘭貞に取り入ろうとする奸臣は多かった。彼らは、どうにか尹元衡と鄭蘭貞の子供と結婚して、親族になろうと惜しむことなく賄賂を贈った。しかし、その栄華は長くは続かなかった。

 1565年、文定王后が世を去ってしまう。後ろ盾を失った尹元衡はすぐに失脚。鄭蘭貞ともども都を追放された。頂上からの転落に耐えられなかった鄭蘭貞は自らの命を絶ち、尹元衡もその後を追った。

 「朝鮮王朝3大悪女」の最期は、とても悲しいものだったのだ……。

文=康 大地(コウ ダイチ)
(ロコレ提供)

最終更新:6月20日(月)17時37分

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TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

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昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。