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<大阪大空襲から71年>千人塚で慰霊法要~「惨状はまさに地獄絵」当時の目撃者語る

アジアプレス・ネットワーク 6月28日(火)11時30分配信

◆ 犠牲者2800人。米戦闘機、逃げ込んだ市民らを機銃掃射で狙い撃ちも

太平洋戦争末期、大阪市北東部で2800人余が犠牲になった第3次大阪大空襲から71年を迎えた6月7日、旭区生江3丁目の千人塚で慰霊法要が営まれた。あいにくの雨にもかかわらず、空襲体験者や遺族ら70人ほどが参列し、犠牲者を追悼した。
  
城北公園の北側を走る淀川堤防に「千人つか」と刻まれた石碑と小さな社がある。

第3次大空襲で千数百人もの犠牲者が埋葬された場所で、「千人塚慰霊法要協賛会」の東浦栄一会長(87)が父親から受け継ぎ、私費財を投じて毎年、慰霊法要を営んできた。

昨年、戦後70年の節目の年を迎え、「慰霊法要は最後にしたい」と語っていたが、遺族らの要望を受けて継続した。

大阪では、B29爆撃機が100 機以上来襲した大空襲が計8 回あり、6 月7日、城北公園付近を襲った無差別攻撃は最も凄惨だった。

400機を超えるB29が焼夷弾を次々に投下し、P51ムスタング戦闘機が城北公園の堤防へ逃げ込んだ市民らを機銃掃射で狙い撃ちした。
犠牲者の中には、徳島県から軍需工場に学徒動員された女学生たちもいた。

東浦会長も城北公園へ逃げ込み、惨状を目の当たりにした。「頭を打ち抜かれ、手足を飛ばされた人、肉片が木にひっかかっていたりして、まさに地獄絵でした」。

身元不明の遺体は千数百体余り。淀川堤防に運ばれて火葬された。

この日の法要では、参列者が黙祷をささげた後、犠牲者を偲びつつ焼香し、静かに手を合わせた。(矢野宏:新聞うずみ火)

最終更新:6月28日(火)11時30分

アジアプレス・ネットワーク