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高浜原発の延命で、危険はさらに増大する

ニュースソクラ 6/29(水) 12:20配信

福島原発事故の反省からできた「40年規制」を骨抜きにした罪の深さ

 原子力規制委員会は20日、運転開始から40年を超えた関西電力高浜原子力発電所1、2号機(福井県)の60年までの運転延長を認可した。

 原発の運転期間については、東京電力福島第一原発事故後、原子炉等規制法が改正され原則40年と決められた。欧米先進国の運転期間を参考にして、事故を起こした1~4号機がいずれも運転開始から30年以上経過した老朽原発であることなども考慮したものだ。

 ただし規制委員会が新基準を満たすと認めた場合は最長20年間伸ばせる。この規定は需給が逼迫して停電に陥る恐れなどの対応策として盛り込まれたもので、あくまで緊急時対策である。規制法改正時の野田佳彦首相(民主党出身)は、同規定を「例外的な場合に限られる」と指摘、田中俊一委員長も「延長は相当困難だ」と語っていた。

 その時から5年が経過した今、この規定はいとも簡単に踏みにじられてしまった。現状の日本では電力の安定供給は十分に確保されており、停電の恐れを心配するような状況ではない。それにもかかわらず、「40年原則」が簡単に骨抜きにされてしまった。

 今後、高浜原発をモデルとして40年を超える老朽原発の運転延長が他原発でも相次ぐ可能性が高まったといえよう。

 老朽原発の運転延長にはいくつかの理由が考えられる。第1は政府が2030年の日本の温室効果ガス(GHG)の排出量、「13年度比26%減」を世界に公約していることだ。  

 この目標達成のために電源構成に占める原子力の比率を20~22%を確保することが必要になる。運転40年ルールを厳密に守るなら、30年度に約2割を原発で賄うためには40年以上の原発を10基程度運転させなければならない。高浜原発1、2号機の運転延長は、原発重視の安倍内閣の高度な政治判断に基づくものといえるだろう。

 第2は電力会社側の事情がある。原発の安全運転のためには、安全性に配慮された最先端の技術を動員した原発の新設が望ましい。しかし深刻な原発事故後、国民の間には原発の新設に反対の姿勢が強く、用地の取得は事実上不可能に近い。そればかりではない。原発新設のコストは上昇の一途をたどっており、電力会社にとっては採算がとれなくなっている。米国などで原発の新設が進まないのはコストが増加の一途をたどっており、とても民間レベルでは対応できないためである。

 その点、老朽原発の再稼働のためのコストは十分採算がとれる。たとえば高浜原発の場合、原子炉を覆う格納容器の補強や電源ケーブルの火災対策の強化などが対策の柱であり、新設と比べたコストは比較にならないほど少なくて済む。

 老朽原発の延命は、政府と電力会社の利害関係が一致したことで、実現したと判断してよいだろう。

 だが、老朽原発の延命化には危険が付きまとう。この数年、道路やトンネルなどの公共施設の老朽化が原因の事故が多発している。原発も例外ではない。たとえば、原発の運転が長くなると、原子炉内の機器が放射線にさらされ、もろくなる課題が指摘されている。 

 さらに深刻な問題として、原子力の専門家が警告している原子炉圧力容器の経年劣化がある。規制委員会の審査はこの点が甘過ぎるという。圧力容器の脆性破壊が起これば取り返しがつかない大事故が発生しかねない。

 40年を超えた原発には、審査委員会の監視の目が届かない様々なリスクが内包されているとの指摘もある。

 深刻な福島原発事故の反省として制定された「40年規制」を骨抜きにし、緊急時以外は避けなければならない「例外規定」を一般化させてしまう手法は、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の愚行以外の何ものでもない。リスクを将来に先送りするだけではなく、リスク発生率を高めるなど、長期にわたり日本社会は不安リスクを抱えることになる。

■三橋規宏(経済・環境ジャーナリスト、千葉商科大学名誉教授)
1940年生まれ。64年慶応義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、科学技術部長、論説副主幹、千葉商科大学政策情報学部教授、中央環境審議会委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長等を歴任。現在千葉商大学名誉教授、環境・経済ジャーナリスト。主著は「新・日本経済入門」(日本経済新聞出版社)、「ゼミナール日本経済入門」(同)、「環境経済入門4版」(日経文庫)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「日本経済復活、最後のチャンス」(朝日新書)、「サステナビリティ経営」(講談社)など多数。

最終更新:6/29(水) 12:20

ニュースソクラ

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。