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県内最古の連坐像、新湊の専念寺で発見 南北朝時代制作、高僧描く  

北日本新聞 6月30日(木)0時46分配信

■真宗初期探る一級史料 

 浄土信仰を広める日本の高僧らを描いた「和朝先徳連坐像(わちょうせんとくれんざぞう)」が、射水市本町(新湊)の専念寺(今堀哲住職)で見つかった。同市新湊博物館によると、南北朝時代(1336~92年)に制作され、県内で発見された浄土真宗の連坐像の中では最古とみられる。国内の発見例が50点程度という貴重な品で、同博物館の松山充宏主任学芸員(39)は「浄土真宗の黎明期の研究につながる一級の史料」と話す。(新湊支局長・芦田周)

 浄土真宗は宗祖・親鸞(1173~1263年)の没後に門弟が発展させ、8世・蓮如(1415~99年)が大きく広めた。親鸞から蓮如までの黎明期は、信仰の対象の移り変わりに伴い古い教えが破棄されてきたため、後世に残る史料が少ない。

 専念寺は1484年に開かれた。1600年代初頭に本願寺が東西に分かれると西本願寺側に付くが、1650年ごろには東本願寺に属した。

 専念寺で見つかった連坐像は縦約1メートル、横約40センチ。平安時代末期から鎌倉時代初期の浄土宗の開祖・法然ら浄土信仰を説いた高僧8人が、上部から中央部にかけて描かれている。下部には聖徳太子を中心に小野妹子や蘇我馬子ら6人が記されている。

 絹に彩色されており、その目の細かさから南北朝時代の作品と分かった。県内でこれまでに発見された連坐像2点は、それより後の室町時代の作品とされる。

 松山主任学芸員によると、描かれた僧などから、この連坐像は南北朝時代から室町時代前期の京都で大きな勢力を誇った浄土真宗の興(こう)正(しょう)寺(じ)が制作に関わった可能性が高い。

 専念寺は東本願寺に属するまで、西本願寺に近い興正寺に付いていたと伝わる。松山主任学芸員は「興正寺が専念寺にこの連坐像を譲ったとみられ、興正寺に認められるほど専念寺が大規模だったことを示す」とみる。

 この作品は仏教絵画の研究にも価値がありそうだ。同博物館と県立大が赤外線カメラで撮影した画像には、僧の顔立ちがはっきりと写っていた。特徴を捉えた写実的な描写は鎌倉時代に生まれた技法を継承しており、表現の巧みさから専門の絵師が手掛けたとみられる。

 連坐像は、初期の浄土真宗の普及状況や寺社勢力の研究に向けた手掛かりになる。松山主任学芸員は「北陸が『真宗王国』と呼ばれる以前の県内の普及状況などを明らかにしたい」としている。

北日本新聞社

最終更新:6月30日(木)12時42分

北日本新聞