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東海道新幹線の新型車両「N700S」はリニア時代の布石

ITmedia ビジネスオンライン 7月1日(金)8時4分配信

 JR東海は「N700」というブランドがお気に入りのようだ。

 2007年に登場した新型車両はN700系。これは先代の700系に比べるとスタイルも違うし性能も違う。700系は山陽新幹線の最高時速が285キロメートルだった。N700系では山陽新幹線で最高時速300キロメートルを出せる。山陽新幹線では先々代の500系が時速300キロメートルを達成しており、700系で一歩後退という形だった。N700系はふたたび時速300キロメートルに達した。

【N700Sは電動車の種類を減らし、16両固定編成の概念を捨てた】

 さらに、車体傾斜システムの改良によって、700系では時速255キロメートル制限がかかっていた曲線も時速270キロメートルで走行可能になった。700系の先頭車は丸みを帯びて、「カモノハシ」とあだ名が付いた。N700系の先頭車は直線をあしらって、鼻筋が通っている。JR東海自身が「ダブルウィッシュボーン」と紹介し、鉄道ファンもその名に習った。

 700系に対してN700系はフルモデルチェンジにふさわしい。本当なら新しい形式を与えたいくらいだ。しかし700の次の800は九州新幹線で使っているし、900はドクターイエローなど非営業車で使っている。ならばいっそ、1000系でも良さそうなものだけど、JR東海は700にこだわった。

●「N700」は最高時速300キロメートルの象徴

 2013年に登場した「N700A」は、N700系のマイナーチェンジ版と認識されている。外観は変わらず、最高速度も当初はN700系と同じだった。ただしブレーキ性能は改良されており、東海道新幹線の最高速度を時速285キロメートルに引き上げたときは、N700Aのみ対象となった。電車の最高速度を上げるには、モーターの出力やギア比の工夫だけではダメだ。安全に止まる距離を維持しなくてはいけない。つまり、ブレーキを改善すれば、最高速度を引き上げられる。

 N700Aの登場以降、既存のN700系はN700A相当の性能に改造された。このことからも、N700AはN700系のフルモデルチェンジではなく、マイナーチェンジ(改良版)という印象を与えた。ちなみに当初からN700Aとして製造された編成は、車体側面に大きく「A」の文字が入る。N700系をN700A相当に改造した車両は、既存のN700系のロゴのそばに小さな「A」の文字が加えられた。鉄道ファンは前者を「ラージA」、後者を「スモールA」と呼ぶ。

 6月24日、JR東海は次世代の東海道新幹線車両「N700S」を発表した。名称を追うと、N700系からN700Aの進化がマイナーチェンジというなら、N700AからN700Sへの進化もマイナーチェンジという印象だ。しかしN700Sはフルモデルチェンジだ。JR東海はN700というブランドにこだわっている。その理由は「好きだから」というわけでもなさそうだ。

 N700系は山陽新幹線で時速300キロメートル時代を復活させた車両。N700Aは東海道新幹線を時速285キロメートルに引き上げた車両。つまり、N700ブランドは言わば「300・285時代」の象徴だ。JR東海のN700Sの報道資料には、新型車両発表時によくある「旧形式との性能比較表」がない。速度や所要時間に変わりなく、300・285時代の新車と言える。もし、次の新型車両も300・285時代を踏襲するなら、きっと車両の名前は「N700Z」。N700シリーズ究極の車両という意味になるかもしれない。

●最新技術がふんだんに盛り込まれたN700S

 N700AからN700Sへの改良ポイントはいくつもある。大きな柱は「安全性の向上」「駆動システムの小型軽量化」「環境性能の向上」「快適性の向上」となる。

 安全性の向上では、ブレーキ、ATC(Automatic Train Control:自動列車制御装置)の改良によって地震発生時からの緊急停止距離を短縮した。台車振動検知システムは車両の異常を検知するだけではなく、線路の異常による台車への影響も察知する。これらを組み合わせれば、車両故障だけではなく災害など外的要因の異常にも対応できる。

 台車だけではなく、車両に搭載された機器については監視機能が強化され、その記録は車両基地に設置したデータ分析センターへ送信する。車両の状態を詳細に把握できる。昨年の列車内焼身自殺事故の教訓から、車内防犯カメラの画像をリアルタイムで指令所に送る機能も付いた。車内の保安を強化し、車内で異常が発生した場所を、指令所から車掌に伝達できる。

 駆動システムの小型軽量化は、モーターの回転数を制御する主変換装置の小型軽量化と、それに伴って小型化された変圧器とモーターによって達成した。

 主変換装置は架線から取り込んだ単相交流電圧を直流電圧に変換するコンバーターと、直流電圧をモーターの駆動に必要な三相交流電圧に変換するインバーターの組み合わせだ。交流→直流→交流という流れは無駄に思える。しかし、単相交流電圧から三相交流電圧に変換するには回路が複雑になる上に、モーターの電圧制御も難しい。そこで、いったんコンバーターという装置で直流に変換した後で電圧をコントロールし、インバーターという装置で三相交流電圧を作っている。

 コンバーターとインバーターは、共に大量の半導体スイッチを作動させて電圧を変換・制御している。N700Sは、主変換装置の半導体スイッチ群の素材として「SiC(Silicon Carbide:炭化ケイ素)素子」を採用した。SiC素子は従来のSi(Silicon:ケイ素)半導体と比較して電圧変換時のロスが低く発熱量が小さい。なおかつ高温でも動作できる。

 その結果として、主変換装置内の冷却機構を簡素化できる。さらに、JR東海は走行時に受ける風を使った空冷技術も組み合わせた。これで主変換装置自体を小型化できた。主変換装置の電力ロスも小さくなったため、変圧器とモーターも小型化できた。この成果は、消費電力の低減と車両設計の自由度を高めた。

 環境性能の向上は、消費電力量の7%減と、先頭車形状の変更によるトンネル突入音など走行音の低下だ。これもSiC素子採用の効果だ。消費電力低減と、各機器の小型化による重量減。さらに、停電時の非常電源として使うバッテリリーを鉛蓄電池からリチウムイオンに変更して、こちらも小型化と軽量化を実現した。

 快適性の向上は、乗り心地と電力サービスだ。乗り心地の向上として、列車の横揺れを減らす機構を改良した。従来はダンパーの強さを変えて揺れを抑えていた。N700Sはダンパーに加えて油圧ポンプを搭載し、積極的に揺れを打ち消す仕組みになった。この機構はグリーン車に採用されている。

 電力面の改造は座席のコンセントと停電時の対応だ。N700Aでは、グリーン車は全席、普通車は壁側のみ設置されていた。N700Sでは普通車も各座席にコンセントを配置する。これからは通路側の乗客も気兼ねなくコンセントを使える。また、従来は停電時にトイレを使えなかったという。非常電源のリチウムイオン化と合わせて、停電時も一部のトイレに電力を供給する。

 N700SとN700Aは、外観上ではわずかな差異だ。しかし、列挙するとこれだけの改良点がある。JR東海はリニア中央新幹線に注力しているけれど、東海道新幹線にも、まだまだできることがある。

●編成組み替えと「標準車両」の意味

 N700Aまでの新幹線車両とN700Sの大きな違いは「標準車両」という基本方針の採用だ。N700Aまでの東海道新幹線向け車両は16両編成という固定概念があった。この固定概念をN700Sは捨てた。モーターに電流を送り込む機器の配置に関する考え方を変更した。ここで、電車の床下に搭載する機器について理解しておきたい。

 例えば、路面電車のように1両で運行する電車は、運転台もモーターも変圧器も主変換装置もすべて1両に乗せる必要がある。しかし、複数の車両を連結する通勤電車では、1両にすべて機器を搭載すると重量が増す上に製造費用が高くなる。そこで考え出された方式が「MM'ユニット方式」だ。モーター付き車両を2両1組として、パンタグラフ、変圧器、主変換装置などは2両で共有する。

 2両1組の電動車と先頭車を作れば、最低4両編成で運行できる。あとはMM'ユニットを増やせば6両、8両、10両編成と2両ずつ増やせる。車両は3種類だけだから、列車の数が多いほど量産効果がある。ただし、新幹線車両のように電車の性能を上げると変圧器や主変換装置なども大きくなるため、2両1組の床下には積みきれない。

 16両編成が前提ならば、効率の良い大型装置を自由に配置できる。N700Aの場合は4両で1組。それが運転台付き車両の有無で2種類あった。1組となる4両はすべて異なる機能を持っていたから、車両の種類は8種類になる。16両編成では2種類のユニットを4つ組み合わせていた。

 この設計のまま12両編成、8両編成を組む場合は、4両1組の数を変更すればいいという単純な話ではない。運転台付き車両にはモーターを搭載していないから、電動車と非電動車の比率が変わってしまう。16両編成の電動車比率は高く、8両編成の電動車比率は低くなる。つまり16両編成と8両編成は同じ性能にはならない。

 そこで8両編成を組む場合は運転台付き車両も電動車とし、新た4両1組の設計をやり直す必要がある。N700Aは東海道・山陽新幹線用の16両編成のほかに、山陽・九州新幹線用の8両編成がある。ただ車両数を減らして内外装の意匠を変えただけではない。専用に設計している。

 かつて0系、100系は、東海道・山陽新幹線向けの16両編成を8両や6両に短縮し、山陽新幹線内専用に使い回した。これはMM'ユニット方式だからできた。500系は4両1組の設計だったから、短縮するために改造の手間ひまを要した。その教訓から、3両1組で設計された300系の編成短縮は実施されず、700系以降は初めから8両編成を新造している。

 N700Sは16両編成が前提の4両1組方式をやめた。SiC素子の採用で床下の機器が小型化され、機器の分散配置の必要がなくなったからだ。それまで6種類あった電動車を2種類に減らし、先頭車2種類と合わせて4種類にとどめた。その結果として、N700Sは16編成以外の編成車両数にも対応できる。もう東海道・山陽新幹線専用ではない。短編成で運用したい新幹線にも通用する。これが標準車両の意図である。

●N700Sの真意は「東海道新幹線の未来」である

 標準車両のN700Sは、山陽・九州新幹線用の8両編成はもちろん、台湾新幹線用の12両編成も共通設計で導入できる。今後、新幹線を各国へ輸出するにあたり、さまざまな輸送量に対応できる。その点では、確かにJR東海が新幹線技術の海外展開を目指した表れと言える。

 しかし私は、N700Sの標準車両の意図は海外展開というよりも、将来の東海道新幹線・山陽新幹線の需要の変化に対応するという意義が大きいと思う。16両編成のN700Sは、かつての0系や100系のように編成を短縮できる。つまり、東海道新幹線を退いても、編成を短縮して山陽新幹線ローカル輸送用に延命し、山陽新幹線のコスト削減に貢献する。これが目的ではないか。

 さらにうがった見方をすると、JR東海がJR西日本の山陽新幹線のコスト削減だけを配慮するとは考えにくい。その意図は東海道新幹線にも適用されると考えたほうが自然だ。

 N700Sの営業運転開始は2020年度。東海道新幹線の車両の寿命が13~15年とすれば、それまでに2027年のリニア中央新幹線の開業を迎える。このとき、東海道新幹線からリニア中央新幹線へと旅客需要の大移動が起きる。そして「東海道新幹線に16両編成は不要」という時代が来る。

 これまでは運用効率の面で16両編成を固持していたけれど、リニア開通以降の東海道新幹線は、列車の需要に応じて16両、12両、8両を使い分けたほうがいい。旅客需要を調整する場合、16両編成のまま運行本数を半分に減らすよりも、車両を半分の8両編成に減らして運行本数を維持したほうが便利だ。そのほうが東海道新幹線の価値を下げずに済む。

 しかし、今から東海道新幹線の編成短縮の話をすると景気が悪い。そこで、海外を見据えた前向きの印象を与えるために「国内外の新幹線の標準車両」とした。ただし、この「国内」はほかの地域の新幹線ではなく東海道新幹線そのものだ。JR東海にとって、N700Sは海外展開を見据えるだけではなく、東海道新幹線の変化に対応するための戦略的施策だと考えられる。

(杉山淳一)

最終更新:7月1日(金)8時4分

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