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その後の音楽を一変させた「MC-8の父」について

ITmedia ニュース 7月1日(金)12時5分配信

 1977年にローランドが生んだ「MC-8」というモンスターマシンと、その父とも言える人物について調べてみた。

【自作デジタルシーケンサーの画像】

 ぼくが学生当時たまに買っていた米国のキーボード雑誌Contemporary Keyboard(現在はKeyboard Magazineと名を変えている)1978年2月号に、ローランドがMC-8の広告を出している。この雑誌は、ボブ・モーグ博士、自作のショルダーキーボードをヤン・ハマーに提供したことでも知られるキーボードプレーヤー、ロジャー・パウエル(のちにSGI、Appleでエンジニアとしても働いた)などそうそうたる執筆陣を抱えていた。

 その広告にはこうある:

「ワードプロセッシングやデータプロセッシングは聞いたことがあるかもしれません。でもミュージックプロセッシングはどうでしょう? ローランドMC-8 MicroComposerを使えばシンセサイザーを8系統、自分の曲に応じて音を保存したり追加したり削除したり再生したりできます。電卓のようにテンキーのボタンを押すだけでいとも簡単にできるのです。でもそれはほんの序の口。さらなる可能性に満ちています。ローランドMC-8はまったくのユニークな製品で、どこにも類似したものは存在しません。録音技術者、音楽家、作曲家、編曲家にとって、間違いなく究極的なイノベーションとなるでしょう」

 実際、そのとおりになったのだ。

●現在のコンピュータミュージックの礎

 CMU-800の父親とも言えるMC-8について調べていると、このMC-8のプロトタイプとなるシーケンサーを自作していたカナダ人ミュージシャン、ラルフ・ダイク氏からローランド創始者の梯郁太郎氏が権利を買い取ったのだということが、「うる星やつら」でも知られる音楽家、安西史孝氏の解説記事でわかった。

 アナログからデジタルまで、ビンテージシンセサイザーについては、安西氏のVintage Synthesizer MuseumというWebコンテンツが詳しい。MC-8についてもウンチクコーナーで詳細が語られている。

 安西氏がWIRED VISIONで受けたインタビュー「Apple II革命」と同時に起きた「コンピューター音楽の革命」では、「MC-8によってポップス系の音楽の手法が変わる事は明らかでした。そしてそれが登場したのは世界を変えたApple IIが登場したのと同じ1977年だった」「もし楽器界にノーベル賞があるとすれば、私はヤマハの『DX-7』とともにMC-8に一票を投じたい」と高く評価している。

 1970年代の自作コンピュータブームの中で、2人のスティーブ、スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズはApple Iを、次にApple IIを出した。Apple Iの前には世界初のパーソナルコンピュータと言われるAltair 8800が1974年に発売されている。

 MC-8は、シンセサイザーをコントロールするための完全なプログラムが組み込まれた、音楽専用のパーソナルコンピュータとも言えるもので、これがApple IIと同じ年に日本企業から発売されているのはいくらなんでもおかしい。

 それまで、オルガン、シンセサイザーを開発してきたローランドが、いきなりコンピュータベースのMC-8を開発した(ようにみえた)というのにはどうも違和感があったのだが、その経緯が詳しく書かれた英文記事が見つかった。

 MC-8専門のブログサイト「Roland MC-8 Micro-Composer」の管理者であるpeahix(Pea Hicks)氏は、ラルフ・ダイク氏と親交があり、カナダの音楽雑誌に掲載されたダイク氏のインタビューが転載されている。

 その記事を紹介する前に、MC-8が実際にどういうものだったか、peahix氏による「開封動画」があるので、それをご覧いただくのがいいだろう。

●自作デジタルシーケンサーはどうして生まれたのか

 ジャズの作曲家・編曲家であったダイク氏は、友人の影響で電子工作も学んでおり、1972年にバンドのツアーに参加するかたわら、TTLとシフトレジスタをメモリとして使う最初のシーケンサーを構想。電卓のキーボードを使ってデータ入力、5オクターブのピッチ(音高)を記録するのに6ビット、音長に6ビット、エンベロープゲートに6ビット、音量と音の切り替えとクロック制御に6ビット。これらをテープに記録する。これが基本設計となる。

 ダイク氏は当時、コンピュータ自作ブームが起きていることをまったく知らず、自分の空き時間にコツコツと製作していた。自作のモジュラーシンセサイザーにつなげて「オーケストラを作りたい」一心で。

 1975年にはCMOSベースで、より小型化した2台目のデジタルシーケンサーを製作。そこで、ローランドの登場である。

●梯氏とダイク氏の出会い

 出来上がった2台目の自作シーケンサーを、当時ローランドのディーラーをしていたジーン・トレードマン氏に見せたところ、トレードマン氏がローランドの梯社長に連絡。1976年はじめに訪れた梯氏にシーケンサーを見せ、録音したトラックを聴かせたところ、「完璧だ!」と激賞。ダイク氏はすぐに契約を結び、ローランドの玉田由紀夫氏がマイクロプロセッサベースの設計を行うことになる。当時、ダイク氏はAltair 8800を持っており、Intel 8080Aプロセッサについての知識はあったものの、シーケンサープログラムをマイクロプロセッサ上で動かす技術はなかった(自作シーケンサーもディスクリートだった)。ここは、玉田氏をはじめとするローランド開発陣の技術によるものだった。このあたりのローランド側視点での証言も、ほぼそれを裏付けてているようだ。梯氏は自伝「ライフワークは音楽」の中で、ICのロジックで組み立てられていたダイク氏のシーケンサーを見学し、「わたしはこれを見た瞬間に、これはそのままCPUに置き換えるべきだと考えた」そうすれば「すべての性能が飛躍的に上がる」と、日本での開発を進めたと記している。

 1977年初頭には、ローランド製シーケンサーが8チャンネルになるという知らせを受け、ダイク氏は日本を訪れ、音楽面からのデバッグと、デモ曲「Odd Rhythms」のプログラミングを行う。

 ダイク氏のデジタルシーケンサーは1チャンネルだけだったので、それが8チャンネルになり、オリジナルよりも「ずっとずっとパワフルになった」と喜ぶ。複数チャンネルを処理するため、ごくわずかな音ズレはあったものの、メリットの方がはるかに大きかった。

 オリジナルのデジタルシーケンサーは実機は既に失われているが、画像と、手書きのドキュメントは残されている。

●MC-8を使った有名ミュージシャンとの交流

 ダイク氏は自身の演奏以外でも、名盤「TOTO IV」の「Lovers In The Night」でシンセサイザープログラミングがクレジットされている。西海岸のこのバンドとつながるきっかけとなったのは、有名プロデューサーのデビッド・フォスター。デビッド・フォスターはカナダ出身で、1960年代からの知り合いだったという。最初はスカイラークというバンドにいたので、その頃なのだろう。

 TOTOの2人のキーボードのうち、主にシンセサイザーとプログラミングを担当していたスティーブ・ポーカロはMC-8を気に入り、TOTOがステージでもうず高く積んでいたPolyfusion製モジュラーシンセサイザーをコントロールしていた。アルバム「Turn Back」の1曲目「Gift With A Golden Gun」のギターソロ前、タイトル曲「Turn Back」の冒頭あたりもそうだろう。

 ダイク氏によると、MC-8の複雑さはミュージシャンにはあまり受け入れられなかったとしているが、例外が3人いると名を挙げているのが、スティーブ・ポーカロ、ニューエイジ系のスザンヌ・チアニ、そして冨田勲。

 スザンヌ・チアニは、1979年9月号のContemporary Keyboard誌で特集が組まれるほど人気のシンセサイザー奏者で、その記事の中で、Sequencial CircuitのProphet-5を改造し、MC-8を接続して使っていると話している。FM合成の発明者であるジョン・チャウニング博士に師事したことでも知られており、GS1、DX7登場前のこの記事の中でFM音源のリッチな音色についても触れている。

 冨田勲「宇宙幻想」のライナーノーツには、「このホラ・スタッカートはすべてマイクロコンピュータを使用しました。従ってキーボードは電子計算機などに使われている0-9までのテンキーです」という説明がされている。使用機材にもRoland MicroComposer MC-8(Digital Sequencer by Micro Computer)とわざわざ注釈付きで記載されている。

●MC-8の父、その後 

 ラルフ・ダイク氏が現在はどうされているのか気になって調べてみたのだが、残念なことに、3年前、2013年5月に心臓発作のため亡くなっていたことがわかった。それがこの記事を書くきっかけでもある。

 ラルフ・ダイク氏が朝の5時頃、車の中で思いついたというアイデアと、そこから作り上げたプロトタイプのシーケンサーがなければ、MC-8の開発に携わったローランドの技術者たちが深く関与したMIDI規格制定、そこから連なる現在のDAWは違うものになっていただろう。

 若き日のラルフ・ダイク氏がMC-8の後継モデルであるMC-4を使い、Jupiter-8から出力するプログラミングの様子がビデオに残されている。フルート奏者のポール・ホーンのアルバムに、ダイク氏もクレジットされており、この「Transitions」はミュージシャンとしての彼にとって最大のヒット曲となった。「打ち込み」の創始者による「打ち込み」。1983年頃の実演だ。

 こうした偉大な先人たちの肩にのっかって、ぼくらはこれからも打ち込み続けるのだ。

最終更新:7月1日(金)12時5分

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