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富山城下町に防火水槽 県内で初出土

北日本新聞 7月1日(金)0時50分配信

■相次ぐ火災に備え

 富山市中心部の富山城下町遺跡で、重臣の屋敷跡から江戸時代の防火水槽とみられる大規模な遺構が県内で初めて出土し、市埋蔵文化財センターが30日、現地で発表した。当時相次いだ大火を受けて造ったと考えられ、センターの堀内大介主査学芸員は「不明な点が多かった防火対策を知る手掛かりになる」と話している。

 旧総曲輪小学校の跡地利用に向けた市の調査で、北西に隣接する旧青葉幼稚園の跡地約650平方メートルを調べた。現地は江戸時代、外堀に囲まれた富山城三ノ丸があったエリアで、家老ら富山藩の重臣屋敷が並んでいた。4月から発掘を始め、江戸中期の18世紀に造られた遺構を発見した。

 南北27メートル、東西10メートルにわたって掘られ、深さは50~60センチ。横幅のやや狭い25メートルプール程度の広さで、水を張るために井戸から地下水を引いたとみられる溝も見つかった。水槽の内壁を石積みで固めて横木を渡し、くいで補強してあった。真ん中に仕切りのような石積みがあり、北半分は造り直した跡が残っていた。

 堀内主査学芸員は、18世紀末に起きた神通川の氾濫で水槽が埋まり、住居に近い側の北半分を修繕したと推測。「当時、防火水槽は再工事が必要なほど重要だったのではないか」との見方を示した。

 西側に10メートル離れた場所にも防火水槽らしき遺構が見つかったが、6・5メートルにわたる石積みが残るだけで、規模は分からなかった。

 歴史的建造物の調査や修復などを専門とする職藝学院(富山市)の上野幸夫教授は「上屋がなく、くいなどの木材の腐食があまり進んでいないことから、常に水が張られていたのではないか。防火水槽だった可能性が高い」と述べた。金沢城下町遺跡の公事場(くじば)跡で見つかった防火水槽との類似点も説明。広さこそ富山の16分の1程度と小さいが、造られた時期や工法、深さがほぼ同じだった。

 富山藩は17世紀以降、富山城や本丸御殿が焼失するなど、何度も火災に見舞われていた。市埋蔵文化財センターの近藤顕子専門学芸員は「相次ぐ火災が防火水槽を設けた背景とみられ、全国でもこれほど大規模なものは見つかっていない。今に伝わる富山の防火意識の高さもうかがえる」と話している。

 2日午前10時から現地説明会を開く。小雨決行。問い合わせは同センター、電話076(442)4246。

北日本新聞社

最終更新:7月20日(水)14時7分

北日本新聞