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阪本奨悟 ミニ・アルバム『Fly』リリース。今の自分をすべて詰め込んだ意欲作/インタビュー1

エキサイトミュージック 7月4日(月)22時30分配信

 
■阪本奨悟/Mini Album『Fly』インタビュー(1/2)

困難を乗り越え、今、伝えたいメッセージを

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兵庫県出身のシンガーソングライター、阪本奨悟が6月29日にミニ・アルバム『Fly』をリリースする。新人アーティストなのだが、その“阪本奨悟”という名前と、ビジュアルを見て、「知ってるかも?」と思った人もいるはず。実は、阪本は10代の頃、役者として活動もしていて、TVドラマや人気ミュージカルに出演するなどして活躍していた。だが、そんな中、音楽への想いが強くなったことから、役者を辞めて、地元の兵庫に帰り、一人での活動をスタートさせる。そこからの道のりは決して平坦ではなかったというが、その時期を乗り越えたこそ伝えらえるメッセージを詰めた今作が完成した。現在はアーティスト活動と再開した役者としての活動を両立させながら、さらに高いステージを目指している。そんな阪本にこれまでの道のりや、新作のこと、そして、役者としての話など、たっぷりと語ってもらった。
(取材・文/瀧本幸恵)

何か一つでも良いから自分で一から積み上げて、誇れるものを持ちたいって思うようになった

――奨悟さんはもともと役者として活動をされていましたが、それをやめて、地元の兵庫に帰るところから本格的に音楽を始められたんですよね。役者としての将来も期待されていた中、そのような決断に至ったのはどのような思いからだったのでしょうか?

阪本奨悟(以下、阪本):あのときはまだ高校生で、反抗期というか。正直に言うと、それまでの自分を否定したかったんですよね。役者の仕事を始めたきっかけが自分の意思ではなくて、親から勧められてってこともあったので。

――まだ子供ですものね。

阪本:そうなんです。当時はなんの考えもなく始めて、当然たくさんの経験をさせて頂いて、やっていたときは本当に楽しかったんですけど、高校に入った頃からいろいろ考えるようになって。それまでの自分が自分で認められなかったというか。やっぱり自分の人生、何か一つでも良いから自分で一から積み上げて、誇れるものを持ちたいって思うようになったんです。そんなタイミングで、ミュージカルの経験から歌うことの楽しさが自分の中に確かにあって、これが自分にとって一から始めることなんじゃないか?って思うようになって。そこから自分で曲を書いて、自分の曲で人を集められるようになりたいって考えるようになりました。日に日に音楽への思いは強くなって行きましたね。

――そもそも音楽は、奨悟さんの中でどういう存在だったんですか?

阪本:歌うことは大好きでした。小さい頃から声を出すのが好きで、暇さえあれば学校でもワーワー歌って、よく怒られてました(苦笑)。家でもしょっちゅう「うるさい!」って。友達とカラオケに行ったりするのも好きでしたし、歌うことから音楽に興味を持つようになりました。カラオケではよくORANGE RANGEさんとかを歌ってました。両親の影響もあって、Mr.Childrenさん、サザンオールスターズさん、ポルノグラフィティさんとか、J-POPで王道と言われる方たちのサウンドはよく聴いてましたね。

――では、自分で曲を作るのはいつごろから?

阪本:中2で初めて作りました。当時、『テニスの王子様』というミュージカルをやらせてもらっていて、そこで人前で歌う楽しさを知ったんです。それで、これが自分で作った曲だったらもっと楽しいんだろうなって思って、そこから自然と作るようになりました。ただ、曲を作り始めた頃はコードも全くわかってなかったし、ロジックもなかったので、本当に感覚だけで作っていて、今聞き返すと、どうしようもない曲を作ったなっていうのもたくさんあります(笑)。どうやってこんなコードをつけたんだろう?って。

――その後、役者を辞めて、音楽に向かうわけですが、当初から音楽を仕事としてやって行きたいって思っていたんですか?

阪本:甘い考えだとは思うんですけど、「絶対成功してやる!」って思ってました。そのくらいの思いを持って始めました。


自分を信じ続けることが、自分に決めたルール

――そこからまた事務所に所属されるまでの2年間はどんなふうに活動をしていたんですか?

阪本:最初にバンドが組みたかったので、地元に帰ってすぐに友達に声をかけてバンドを始めたんですけど、ライブをやるまでには持ち込めなかったんです。「勉強を頑張るから辞めるわ」とか、「親に止められた」とか言われて。同じ気持ちでやれるメンバーとなかなか巡り会えなくて、実はインターネットとかで募集したりもしたんです。そこれでも全く上手くいかなくて。気付いたら何もできないまま半年くらい過ぎてしまったんです。そこから、一人は怖かったんですけど、本当にこのままじゃどこにも進めないし、この時間がもったいないって思って、路上ライブを始めたんです。そしたら、本当に一人も止まってくれなくて(苦笑)。多くて10人がやっとくらい。そのときに、これまで自分が役者として活動する場があったのは、支えてくれるスタッフさんが居て、立たせてもらえる舞台やステージがあって、その上で自分はやれていたんだなって痛感して。もう本当にたくさん後悔をしました。路上でやってるときは自分ですべてを準備してやるんだけど、そこに聴いてくれる人はいなくて、独りよがりな、自己満足で終わって行ってしまう感覚もあったし。でも、ここで諦めてしまったら、この先自分が何を仕事にして食べて行くにしても、一生の後悔をすると思って。だったら当たって砕けて、ボロボロになるまでやってやめた方が絶対にスッキリできるし、納得もできるだろうと。何が何でも続けようって決意して。とにかく、自分を信じるしかない。今もそうなんですけど、自分を信じ続けることが、自分に決めたルールでした。

――そこからもう一度、元の事務所のアミューズに戻って、ソロ歌手として活動するっていうのはどういう経緯だったんですか?

阪本:そうやって路上ライブをやっていたんですけど、そこでおなじように路上ライブをやっている人たちと声を掛け合うようになったんですね。それで仲良くなった方たちと、一人ひとりではライブハウスではやれないけど、一緒に力を合わせてお客さんを呼ぼうっていう話になって、そこから今度は月に数回、ライブハウスでやれるようになって。それで、ライブハウスに出られるようになると、そこのブッキングの方とか、また違うミュージシャンの方とかともつながれるようになって。僕が過去に東京で活動していたこともあって、東京でのライブのブッキングにも繋がって。そしたらたまたまライブを観に来てくれたレコード会社の方から声を掛けて頂いて。本当にありがたい話で、自分にとってもチャンスだと思ったんですけど、自分が本当に困っていた時に、アミューズのスタッフさんからアドバイスを頂いたりもしていたし、前の自分を超えたいっていう思いもあって、そのスタッフさんにもう一度頑張って、前以上に輝いてる姿を見て欲しいって思って。その思いを伝えたら、「もう一度本気でやりたいなら」って言ってもらえて、今の形になりました。

――ここまで来るのは簡単ではなかったんですね。辞めたくなる瞬間もあったのでは?

阪本:多々ありましたね。もう本当に。ライブハウスに定期的に出られるようになってからは、充実感もあったし、次にこういう曲を書いたら届くかな?とか、そういうのを考えてるだけで楽しかったんですけど、そこまでは正直辛かったこともたくさんありました。思うように行かないことばかりで。高校生だったんですけども、ただただ公園でずっとぼーっと一日過ごしたり。やりたいことはあるけど、それは自分ができないことなんじゃないかなと。かといって、自分には一体何ならできるんだろう?って。絶望感にうもれていました。だから、あの頃に書いていた曲は、本当に誰かや何かを恨んでいる様な辛辣な曲が多かったですね。

最終更新:7月5日(火)22時15分

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