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DTMの夜明けを告げた「ミュージくん」とPC-9801がいたあの頃

ITmedia ニュース 7月4日(月)22時4分配信

 「母さん、辞令だ。刑事になったよ!」

 そんなセリフで始まる桜木健一主演の刑事ドラマで、「刑事くん」というのがあった。そのドラマに影響を受けたのではないかと密かに思っているのが、DTMという言葉を最初に使ったPC-9801用のDTMパッケージ「ミュージくん」。MIDI音源、MIDIインタフェース、ソフトウェアをバンドルした、1988年発売の製品だ。

【MT-32の音色画像その1】

 DeskTop MusicでDTM。すでにこの時代にはMacintoshとLaserWirter、Aldus PageMaker、Adobe Illustrator、PostScriptの組み合わせにより、紙の出版物を個人が制作できる、DTP(DeskTop Publishing)という言葉が流行りつつあった。そのPをMに置き換えた、実にうまいネーミングなのだが、Musicだけだと音楽を聴くだけでもDTMだということに気づいたのか、DTMP(DeskTop Music Production)とローランドでは言い換えた。一般化しなかったけど。

 最初のDTM製品「ミュージくん」は、上位製品として「ミュージ郎」が登場し、しばらくのあいだ並行して販売されたが、そのあとで「ミュージくん」そのものは忘れさられていく。ぼくが買ったのは初代「ミュージくん」。当時、ローランドに高校時代のバンド仲間で親友が勤務しており、社販価格で手配してもらったのだ。彼がローランドに就職するときには「MIDIはこれこれこういうもので、シンセとつなげるとこういうメリットがあって」みたいなことを教えてあげたので、そのお返しをしてもらったわけだ。

 詳しい話は藤本健さんのDTMステーション「DTMのルーツ、1988年に登場したミュージくんの衝撃」に書かれているので、そちらを参照していただきたい。

 概略は藤本さんにおまかせするとして、ぼくは当時どんなPC環境であったかというところの説明から。

●1988年当時、日本のPC業界はどんな状況だったか

 長男が生まれたあと、妻が勤務していた、if800とかを作っていた電機メーカーでは出産祝い金というのをくれたので、それを使ってPC-9801VX2を購入。CPUはV30というIntel 8086プロセッサのNECによる互換チップとIntel 80286のデュアル構成になっていた。その頃はCG雑誌の編集部にいた関係で、24ビットカラーの表示をするためのフレームバッファボード「写像」を買ってCバス(PC-9800シリーズの拡張スロット)に装着したりしていたのだが、そこにもう1枚加わったのだ。

 このMT-32で、ある長い曲の耳コピをやっていた。だが途中でPC-9801のメモリ容量(640KB)に収まらなくなってしまい、より大容量メモリが使えるコンピュータであるMacintosh Plus(4MB)を秋葉原のイケショップで、高性能なMIDIシーケンサーPerformerとMIDIインタフェースを千駄ヶ谷のPACIFIC WAVESで購入し、そちらにデータを引き継いだ。

 このとき、妻には「Macがあればもっといいところに就職できるから」と言い訳したのだった。

 当時、PC-9801のOSはMS-DOSであり、アプリケーションで使えるメモリはメインメモリの640KBの一部に制限されていた(I/OデータやメルコのRAMディスクで使えるアプリもあったが例外的)。Macintosh(いまはMacって呼んでるんだって?)と、その上で動くアプリはちょっと次元が違う感じだった。

 Macintosh Plusの9インチという小さなモノクロの画面ではあったが、MIDIインタフェースはPC-9801のように拡張ボードではなく、高速なシリアルインタフェースRS-422に差すだけでよく、MIDIインタフェースの価格もそのぶん安かった。しかも分解能は98版を大幅に上回るため、細かいニュアンスを伝えることができた。

 それでも、PC-9801で動くミュージくんソフトはよくできていた。上位ソフトのBalladeと同じく、ダイナウェアで開発されたもので、楽譜のイメージのまま音符を五線譜の上にマウスで置いていく、高度なグラフィカルユーザーインタフェースを採用していた。ダイナウェアはDynapersという、建築用3Dパースソフトで知られていたが、Macintoshと同じくPARC ALTOの子どもたちであった、NEC PC-100用のペイントソフト「アートマスター」の開発を行うなど、先進的なソフトハウスだったのだ。のちにPC-100を中古で入手したぼくは、このアートマスターのポップアップメニューがとてもよくできているのに感嘆した。これはMac用アプリ以上の出来じゃないかと。

 当時、Macintosh以外のパソコンでGUIを実現するものとしてはMicrosoft Windowsの初期バージョン、Digital ResearchのGEMがあり、その2つを朝日新聞社のムック向けにレビューしたのだが、とくにWindowsは上下、左右の分割しかできず、時計などのアクセサリがいくつかあるだけで実用性がまるでないと辛口評価した。

 PC-9801の時代については、故・富田倫生氏の「パソコン創世記」が見事なドラマとなっているので、この頃を知る人も知らない人も必読だ。@ITに転載されているので、そちらで読んでもいいし、その後のコラムをパソコン雑誌「パソコン・マガジン」(ぼくがその後、Macが使えると吹聴して日本ソフトバンクという名前だった会社に入り、最初に配属されたのはこの編集部だった)で連載したものをまとめた「青空のリスタート」と併せて、富田氏が立ち上げた青空文庫で一気に読むのもいいだろう。

 最近では、マイクロソフト元会長の古川享氏が「僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史」という回想録を出版されているが、これもまたおもしろい。音楽ネタはほとんど出てこないけれども。

●そしてMT-32は残った

 そんなPC-9801(きゅーはち、キュッパチという人もいた)の時代だったが、音楽、グラフィックスなどクリエイティブな人たちはMacintoshへの移行を徐々に果たしていく。「Macが使える」というのは、転職・就職のときのセールスポイントとなったのだ。ぼく自身もMacintosh Plusを買って使えるということで、ソフトバンクに入って現在に至るわけだ。使い始めた理由が、ミュージくんのデータがPC-9801じゃいっぱいいっぱいでMacじゃないと続きができないから、であったとしても。

 MT-32にはまだ魅力があった。マルチティンバー。いまでこそ、1つの音源で複数の音色を同時に出せるというのは常識だが、当時は非常に珍しかった。そうでなければ、ピアノ音源、ベース音源、ドラム音源、シンセサイザー音源、オルガン音源、ギター音源など、使用する音色毎に音源モジュールを購入しなければならない。第3回で紹介したAMDEK CMU-800はマルチティンバーの走りとはいっても、非常にシンプルなピアノと、ベース、ドラムと、矩形波だけのメロディーで、リアルなバンドの音を出すことは難しかった。

 しかも、MT-32の音は、当時ローランドがブイブイ言わせていた最新デジタルシンセサイザーD-50の直系であった。D-50はLA(Linear Arithmetec)という方式で、PCMのようなリアルな音を出せた。PCMの素片をアタック部分に使い、それ以外は従来のアナログ方式のシンセサイザーのような仕組みを組み合わせるという、FM音源と比べると音作りがやりやすいということが売りだった。

 ローランド創業者の梯郁太郎氏の伝記では、FM音源の生みの親であるスタンフォード大学のジョン・チャウニング博士を訪れたが、その半年前にはヤマハとの契約が決まっており落胆した話が書かれている。1983年のDX7からD-50登場までの4年間は営業の士気低下が感じられたほどだという。

 田中雄二氏の名著「電子音楽イン・ジャパン」では、ローランドの製品開発に関わっていたゴダイゴのミッキー吉野氏が「アタック+芯+影」という要素での音作りを提案していたことがLA音源に結びついたと指摘している。

 MT-32という名前は、マルチ・ティンバー、複数の音色が最大32同時発音できる、という意味でもあった。LA音源ではパーシャルという単位の音の素片を組み合わせるもので、複数のパーシャルを使う場合には同時発音数が32より少なくなってしまう。それでも、自由にパートを組み合わせることが可能なので、金欠の宅録派には当時最高の音源だったのだ。

 ローランドでは、MT-32の取扱説明書をPDFでダウンロードできるようにしているのがすばらしい(ちなみにMC-4もある)。

 このMT-32で長々作っていた曲が、カセットテープに残っていた。データではなく、ミックスダウンしたもので、ミュージくんのデータそのものではない。MIDIデータでエクスポートしてMacのPerformerに引き継ぎ、なんとか完成させたものだ。

 ボーカル入りのその曲をインストのままで公開するのもちょっと気が引けるので、2016年の自分の歌声を追加して公開してみた。

 カセットテープの音がよれよれでノイジー、ギターの音がしょぼい、ボーカルが声ひっくり返ってるじゃないか、そして初期の通信カラオケみたいな「テラMIDI」と言われるかもしれないけど、実際にこのMT-32のマルチティンバーがGM、GS、XG音源につながっていったわけでして……。

 ともあれ、1988年からの仕掛品をようやく完成させたので、ぼくも安心して天国への階段を登れそう。

●君たちが望めば戦争は終わる

 と、ここで終わりにするはずだったが、こんな映像を自分のホームムービーから見つけてしまった。1988年の我が家を映したものだ。

 ミュージくんの画面が映っているんだけど、この部分だけ無音になっていて、何をやってたんだかわからなかったものだ。音声だけをエクスポートし、Audacityで正規化してさらにノイズ除去を行うと、ミュージくんを使ったことを忘れていた楽曲が流れた。

 ジョン・レノンの「Happy Christmas (War Is Over)」を、ミュージくんに入力し、再生していたのだ。

 妻がホイップをひねってクリスマスケーキをつくり、ぼくが髪にクリームがついているのを指摘したりというのも、28年ぶりに知ることができた。

 妻との想い出が1分39秒だけ増えた。これもDTMのおかげだ。

最終更新:7月4日(月)22時4分

ITmedia ニュース