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「サバの刺身」食べたことある? 福井・若狭湾のサバ養殖事業で実現へ

THE PAGE 7/7(木) 18:01配信

THE PAGE

 福井県小浜市は、古くから、日本海の豊富な食材で、朝廷の食を支えた「御食国(みけつくに)」としての歴史を誇ります。中でも、サバは若狭のシンボルともいえる食材です。羽田空港の“空弁”で大人気の焼き鯖寿司をはじめ、「浜焼き鯖」、ぬか漬けにした「へしこ」、「なれずし」など数多くのサバ料理が知られています。昨年4月には、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群-御食国若狭と鯖街道」として文化庁の日本遺産第1号に登録されました。
 
 しかし、約40年前をピークに、地元のサバ漁獲高は激減。近年、出回るのは北欧産がほとんどになってしまいました。そこで、日本遺産登録をきっかけに、もう一度、若狭産サバを復活したいと、市や漁協などが一丸となり、全国でも珍しいマサバの養殖事業をスタートしました。この秋には、市内料理店で、獲れたてでなければ食することができない、幻の味“サバの刺身”を提供しようと、準備を進めています。

鯖街道が“サバ料理発祥の地”

 若狭と畿内を結ぶ鯖街道は、古墳時代から1500年の歴史があるといわれています。そのルートはいくつかありますが、針畑峠を超え、京都鞍馬に入る、最も古いとされる「針畑越え」は、有名な兄弟神「海幸彦」「山幸彦」が、この道を通ったと言い伝えられてきました。また、小浜から熊川宿、滋賀県朽木、花折峠を越え、京都大原に入る代表的なルート「若狭街道」では、「京は遠ても十八里(72キロ)」と言いながら、背中に担いだ荷物をせっせと運んだといわれています。

 その都行きの荷物の中で、最も多かったのがサバでした。「鯖の生き腐れ」と例えられるほど、足が速いサバの鮮度保持のため、当時から、獲れたてのサバに塩をかけて運ぶという加工技術が発達、都に着くころは、ちょうどいい加減になって喜ばれました。小浜は正真正銘“サバ料理発祥の地”だったのです。

獲れなくなった若狭サバ 養殖にはさまざまなハードル

 その背景には、若狭湾で昔から、豊富にサバが揚がっていたという歴史があります。しかし、乱獲や環境の変化などから、漁獲高は激減。最盛期の1974(昭和49)年には、福井県内で12607トン、小浜市田烏巾着組合だけでも3500トン以上の収穫がありましたが、2014(平成26)年は、小浜市漁協管内でわずか1トンにまで落ち込んでしまったのです。

 なんとか若狭産サバを復活させたい。考えだしたのが養殖事業でした。ただ、サバの養殖は、一筋縄ではいかないと言います。魚同士がぶつかり合うとすぐにキズが付くうえ、高温に弱いため、いけすの中では育ちにくい。加工品として料理されることが一般的であるサバは大衆魚で安価なため、コスト高がネックになり、全国でも取り組み例が少ないのです。

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最終更新:7/7(木) 18:01

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