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<バングラテロ>犠牲の下平さん無言の帰国…悔しくて言葉にならない

埼玉新聞 7月5日(火)22時26分配信

 バングラデシュの飲食店襲撃テロで犠牲になった埼玉県富士見市出身の下平瑠衣さん(27)は学生時代、カンボジアの小学校にブランコを造るなど発展途上国の教育支援に携わっていた。東日本大震災の被災地でも思い出の写真を洗浄するボランティア活動に参加。その経験を「一生大切にしたい」と胸に刻み、夢だった途上国のまちづくりに精を出している最中だった。活動を共にしていた男性は「悔しくて言葉にならない。芯の強い子で、これから途上国で活躍していく人だった」と早過ぎる死を悼んだ。

 下平さんは芝浦工業大2年だった2009年、途上国の教育支援などに携わるNPO「JHP・学校をつくる会」(東京都港区)の活動に自ら応募して参加。同会によると、約3週間にわたってカンボジア北部の小学校を訪れて校庭にブランコを造ったり、児童養護施設の子どもたちと交流を深めたという。

 下平さんは炎天下の中、日が暮れるまで地元の人と協力しながら穴掘りなどの作業に従事。ブランコが完成したときは、仲間と手を取り合い飛び上がって喜んだ。言葉は通じなくとも、一生懸命に身ぶり手ぶりで子どもたちと接し、笑顔を絶やさなかったという。

 同会事務局長の清国将義さん(45)は「強い信念を持っており、まだまだいろんなことをやりたかっただろうに…。彼女のことを思うと悔しくてやるせない」と肩を落とした。

 途上国の現状に関心があった下平さん。同会の活動記録集にはカンボジアでの活動を通じ、「毎日を笑って過ごすことの大切さを学んだ」「今目の前にいる人に真正面から向き合っていこうと考え直した」とつづっていた。「カンボジアの人たちの多くが日本人にはない生き生きとした表情と穏やかさを持っていた。日本人とカンボジアの人のどちらが幸せなのかと言われると、私には答えられない」と率直な思いを書き、「幸せとは一体何かを深く考えさせられた」と結んでいた。

 東日本大震災の発生後、11年4月30日~5月8日には、宮城県南三陸町を訪れ、同会の「思い出探し隊」として活動。きれいな状態で被災者の元に届くように、津波で流されて泥まみれになったアルバムや遺品を洗った。活動報告書の中で「被災地の現状や震災当初から現在に至るまでの流れを、自ら知ろうとする努力を自分自身が怠っていたことに気づき、恥じました」と記している。

 一緒に活動を続けてきた清国さんは「海外にいる期間が長かったので、これからは家族のそばでゆっくり休んでください。お仕事お疲れさま、と伝えたい」と下平さんの写真に目を落とした。

最終更新:7月5日(火)23時9分

埼玉新聞