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[記者手帳]北朝鮮外務省米国局副局長の抗弁

ハンギョレ新聞 7月5日(火)6時6分配信

 (北東アジア協力対話)初日の午後の会議が終わった。夕食の時間だった。その時、彼女が手を挙げて発言権を得た。「南(韓国)側では、そんな風にメディアにリークするのでしょうか?」。6月22日、北京の第26回「北東アジア協力対話」(NEACD)会議場での、チェ・ソンヒ北朝鮮外務省米国局副局長の発言だ。チェ氏はこの会議におけるメディアの対応の原則である「チャタム・ハウス(イギリス王立国際問題研究所)ルール」を想起させた。「会議場でのやり取りを外部に伝えることはできるが、発言者が誰なのかを公開してはならない」というのが主な内容だ。「情報の共有」と「自由討論に必要な最小限の秘密保持」とのバランスを取るためのものだ。チェ氏は、キム・ゴン外交部北朝鮮核問題外交企画団長が北朝鮮のムスダンミサイル発射を非難したが、チェ氏がこれに反発しなかったという韓国メディアの「北京消息筋」を引用した記事が、同日午前11時45分にインターネットに掲載されたことを問題に挙げた。

 実際にチェ氏は会議初日、明らかに発言を控える様子だった。各国代表がチェ氏に6カ国協議についての北朝鮮の方針を確認しようとした時も、終始沈黙を守った。しぶしぶ「9・19共同声明の精神が損なわれたので、新しい枠組みを模索すべきだ」と答えただけだった。このように消極的な態度を見せていたチェ氏が、初日の会議が終わった時点であえて発言権を得ようとした背景に、韓国メディアの記事をインターネットで見た平壌(ピョンヤン)側の「積極的な対応」の訓令があったことは、容易に推察できる。

 政府代表と学者が共に参加する半官半民(1.5トラック)形式のこの会議には、6カ国協議の関係国すべてが首席または次席代表を送った。北朝鮮政府代表の参加したのは2012年以来4年ぶりで、米国の6カ国協議首席代表の参加は2006年以来10年ぶりのことだ。朝鮮の接触に注目が集まるしかない状況だった。しかし、ジョン・カービー米国務省報道官は6月23日(現地時間)に関連する問いに「彼(ソン・キム国務省対北朝鮮政策特別代表)は、(チェ副局長に)会っていない」と否定した(カービー報道官は「He did not meet with him」と表現したが、女性のチェ氏を男性に間違えた)。実際には、ソン・キム代表とチェ氏は22日の晩餐の際、ヘッドテーブルで隣の席に座っていた。食事の間に会話も交わしていた。

 チェ氏は6月23日の会議の最後のセッションに参加しなかった。同日午前9時10分、宿泊施設の雁栖湖国際会議場を離れて、午前10時40分、北京市内の北朝鮮大使館前で自ら記者会見を開いた。チェ氏は「米国の敵視政策のため、(北)朝鮮は非核化問題を議論するような状況にない」と主張した。ムスダンの発射成功は「非常にうれしい」とも述べた。交渉を通じた「核問題」の解決、すなわち6カ国協議の再開を望んできた人たちを落胆させる発言だった。ところが、チェ氏はなぜ「6カ国協議が死滅したというのは、私の発言ではない」と前置きまでして、すでに知られている北朝鮮の公式見解を記者会見まで開いて再確認しなければならなかったのだろうか?前日の夜、韓国メディアが一斉に「対北朝鮮消息筋」を引用し、チェ氏が「6カ国協議は死んだ」と述べたと大々的に報じたのと無関係とは言えない。翌日、ユン・ビョンセ外交部長官は国会で、「制裁と共に対話・交渉を並行すること」を求める野党議員の圧力に対抗する盾として、チェ氏の記者会見をフルに活用した。

 6月22日に「消息筋」を引用した韓国メディアの2回の報道がなくても、チェ氏がわざわざ記者会見を開く必要があったのか定かではない。確かなのは、韓国代表団の「情報操作」に対するチェ氏の抗議に、韓国側は会話不在の状況が「北朝鮮のせい」だと主張したことだ。しかし、互いを非難していては、対話と交渉の種を蒔いて共存と平和を芽吹かせることはできない。「北朝鮮のせい」にして手を拱いているだけでは、(朝鮮半島で)生きて行くことがあまりにもつらいものになるのではなかろうか。

イ・ジェフン統一外交チーム長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:7月5日(火)6時6分

ハンギョレ新聞