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日本の大富豪(1)技術の鬼であり、破天荒な天才実業家 ── 本田宗一郎

THE PAGE 7/8(金) 7:00配信

 本田宗一郎氏は言わずと知れたホンダ創業者です。宗一郎氏は今でこそ技術の鬼というイメージが強い人物ですが、ただ技術に強いだけでは、こうした巨大企業を作り上げることはできません。宗一郎氏は技術の鬼であると同時に破天荒な天才実業家でもありました。

世界の大富豪

自動車修理のビジネスだけでは物足りず、部品の製造に乗り出す

 宗一郎氏は1922年(大正11年)高等小学校を卒業すると、自動車修理工場であるアート商会に入社。数年の厳しい丁稚奉公に耐え、のれん分けという形で独立することに成功しました。自動車修理の事業は順調に拡大し、宗一郎氏は青年実業家として派手な生活を送ります。当時としては超高級品であった自家用車を乗り回し、多くの芸者さんを呼んでスケールの大きい宴会を催したそうです。今でいうところのカリスマ青年実業家といったところでしょう。

 しかし、宗一郎氏はこのレベルで満足するような人物ではありません。自動車修理のビジネスだけでは物足りず、部品の製造に乗り出し東海精機重工業(現在の東海精機)の社長に就任します。しかし、戦争中に発生した三河地震で工場が被害を受けたことから、宗一郎氏は会社を取引先であったトヨタ(豊田自動織機)に売却。戦後、ゼロから再スタートを切ることになりました。今はライバルとなっているホンダとトヨタですが、当時から深い縁があったわけです。 

バイク製造で大成功し、現在のホンダの礎を築く

 戦後間もなく本田技術研究所を設立した宗一郎氏は、バイクの製造で大成功し、現在のホンダの礎を築きます。宗一郎氏の情熱は半端なものではなく、気に入らない図面を書いた部下を容赦なく殴ったり、ひどい時にはスパナを持って追いかけ回したという話もあります。今の時代でしたら、完全にブラック企業と呼ばれてしまいますが、小さな会社が急成長していくためには、こうしたカリスマ的な力が必要だったのかもしれません。

 宗一郎氏は常々、子供には会社を継がせないと公言しており、実際、子息はホンダには入社していません。しかし晩年、子息の行く末を気にする宗一郎氏の意向を忖度した部下のひとりが、ホンダと関係の深い会社の社長に子息の博俊氏を就任させてしまいます。

 宗一郎氏の没後、この会社には宗一郎氏の権威を悪用しようと考える社員が集まることになり、博俊氏は横領事件に巻き込まれてしまいました。カリスマ創業者は常に後継者問題を抱えているものですが、世襲をしないと公言した宗一郎氏でさえ、こうした問題と無縁ではいられませんでした。カリスマ創業者の後継者問題がいかに難しいことなのかが分かります。

(The Capital Tribune Japan)

最終更新:7/21(木) 18:11

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