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“フジロックが育てたアーティスト”に訊く【検証】フジロックが20年愛され続ける理由 ~clammbon編~

BARKS 7月11日(月)12時29分配信

「“フジロックが育てたアーティスト”に訊く」第2回のゲストは、クラムボンのミトだ。もしかしたらそういうイメージはないかもしれないが、クラムボンは2003年の初出演以来、ほぼ2年に1度の割合でフジロックに登場、去年まで計6回の出演回数を誇る立派な「常連組」である。

前回のROVOと同年代の1995年の結成で、1997年スタートのフジロックともほぼ同期。だが当初からフジの理念と自らの方向性に共通点を感じ、出演を熱望していたROVOに対して、ミトは客としてフジロックに参加していたものの、自分のバンドで出ることはまったく考えていなかったという。それがある時期を境に両者の方向性はシンクロするようになった。そしてフジロックに出演することで、クラムボンはステージ・パフォーマーとして大きく成長することになったのだった。

なお残念ながら今年はクラムボンとしての出演はないが、ヴォーカルの原田郁子がソロで出演予定。ミトはスクエアプッシャーのライヴのためだけに当日券を買って乗り込むかどうか考え中だという。クラムボンは「沈黙中」だが、新曲作りなどで動いている様子。

取材・文=小野島大

  ◆  ◆  ◆

■ 豊洲の時は、「最初から最後まで観ないともったいない」みたいな
■ フェスの楽しみ方がまだ全然わかっていなかった

──クラムボンの結成は1995年。第一回フジロックがその翌々年。クラムボンとフジロックは、いわばほぼ同期ということになります。フジロックが始まった時のことは覚えてますか。

ミト:普通にお客として行ってましたよ。僕、場内駐車場で寒くて震えてましたから。

──あ、台風で2日目が中止になった第一回に行かれたんですね。天神山スキー場の。

ミト:うん、友だち何人かでクルマ借りて行ったんですよ。早めには着いてたんですけど、とにかく雨と風が凄くて、ほぼほぼ観ないで(クルマの中にいて)、エイフェックス(・ツイン)だけ観て帰ったという(笑)。

──当然、今のフジロックに来る人みたいな万全の雨対策などしてるわけもなく……。

ミト:もう全然!とっても軽装で(笑)。だってそんな情報なかったじゃないですか、当時。

──みんなそうでしたよね。Tシャツ短パンサンダルに毛の生えたような格好で。

ミト:あれはもう地獄絵図ですよ。みんな靴をビニール袋で覆って、シェルターみたいなところでガタガタに震えてるという。せっかく来たのにクルマから出たくなくなるほど、雨と風が凄かった。

──当時はおいくつだったんですか。

ミト:22、23歳かな。フジは単なる野外イベントじゃなく、野外レイヴ的なイメージもありましたけど、私はそういう野外レイヴ的なものは初体験だったんですよ。楽しみにしてたのに(苦笑して溜息)。

──エイフェックスの、着ぐるみが一杯踊ってるステージだけ観て帰ったんですね(笑)。

ミト:しかも本人は小屋の中にいて見えないし(苦笑)、なんなんだよー、みたいな(笑)。いろいろ萎えて帰った記憶があります。

──会場内のオペレーションも混乱してましたね。

ミト:ねえ。僕らと同じ年ぐらいの若い人たちがセキュリティで仕切ってましたけど、もうめちゃくちゃで……。

──翌日は中止になっちゃうし。

ミト:そう。その夜は山中湖に泊まって、さんざんだったけど明日は晴れるっていうから楽しみにしてたら、中止だって聞いてがっくり。スクエアプッシャー観れなかったよ~って。

──あの時は、もう日本にロック・フェスが根付くなんて不可能だろうってみんな思ったと思いますよ。今のフジロックの隆盛を思うとウソみたいですけど。

ミト:そうですよね~確かに。

──2回目は東京の豊洲で開催されました。

ミト:2日とも行きました。でも当時はフェスを全日楽しめるような体力がなかったというか……途中から観る、みたいな発想がなかった。とにかくお金払ってるんだから最初から最後まで観ないともったいない、みたいな。フェスの楽しみ方がまだ全然わかってない。行ったら全部観なきゃいけないみたいな使命感があって。それで2日目の夕方ぐらいになって体力が尽きて、もうダメだ、と……

──確か2日とも晴れてすごく暑かったんですよね。

ミト:暑かったすよ~ ホースで(客席に)水蒔いてましたけど、全然涼しくならない(笑)。

──じゃあ最初の2年は普通に客として行ってたわけですね。

ミト:そうです。苗場になってから全然行ってなくて、2001年だったと思うんですけど、ニュー・オーダーが2日目に出た年。あれはクルマで1日だけ行きました。そのころから、好きなものを適当に観て帰る、という楽しみ方になってきて。

──ガチガチに決め込んでスケジュール通りに観るんじゃなく、ゆるく楽しむ。

ミト:そうそう。苗場になってご飯も美味しいし、いいなあ楽しいなあと。

■ ギターもいないんでロックって言えないんですよ(笑)
■ だからフジ「ロック」にウチら、というのが想像つかなかった

──もちろんクラムボンは1999年にはメジャー・デビューしてバリバリやってたわけですけど、クラムボンでフジに出たいという希望はなかったんですか。

ミト:ああもう全然なかったです。出れるものだと思ってなかったし。

──自分には縁がないものだと。

ミト:たぶんそうかなと。やってることはポップだし……当時は自分たちがどういう見方をされるのか、どういう風に見て欲しいのか、どういう可能性があるのか、そんなことすらよくわかってなかった。ただ曲を作って演奏してるだけで、それがどこに向かってるのか、どこに行きたいのか、そんなことも考えないでやってたんですよ。そりゃ出られたら嬉しいだろうけど、そんな可能性はつゆほども考えなかったですね。

──クラムボンのいる場所とフジのある場所が少し離れていた。

ミト:そもそもバンドで何をやってるのか自分でわかってなかったのかも(笑)。クラムボンって何だろうって自問自答しながらやってたんで、どこの場所にウチらは入れるんだろうか、とかまったく考えてなかった。デビューして運良くいろんな人に受け入れてもらって、それを頼りに、とにかく自分の中にあるものをかき集めて曲を作って演奏するので精一杯でしたからね。ほら、そもそもギターもいないんで「ロック」って言えないんですよ(笑)。ギターがないとロックを名乗るのもおこがましい、的な。

──デビュー当時に一番うんざりした質問が「なんでギターがいないんですか?」という。

ミト:(笑)そうそうそうそう。そういう見られ方で、なんかふわふわしたイメージだったから。だからフジ「ロック」にウチら、というのが想像つかなかった。(2001年ぐらいには)スーパー・バター・ドッグとかTOKYO NO.1ソウル・セットとかくるりとか、知り合いや仲のいいバンドが出てるのは知ってましたけど、ウチらが出られるとはまったく思ってなかった。

──なるほど。

ミト:ただその頃から自分たちが聴いてる音楽が、フジロックに出ているようなバンド…ポスト・ロックとかもそうですけど、そういうものが多くなってきて。自分たちが作る音楽も音響的なものがどんどん入ってきた。

──今でもよく覚えてるんですが、私が初めてクラムボンのライヴを観たのが2002年の秋で、クラムボンっていつのまにこんな音響系のバンドになっていたのかとすごくびっくりして。その年にポスト・ロックのマイス・パレードのアダム・ピアースと作った『id』が出て、翌年にその路線をさらに押し進めたアルバム『imagination』が出て、しかもその年(2003年)に初めてクラムボンはフジロックに出ている。完全に流れが出来ている印象がありました。こういうアルバムを作るなら、そりゃフジロックに出るよな、という。

ミト:確かに『id』を作った時は、洋楽的なというか、日本のポップのフォーマットとは別のものになりかけてるな、と思ってたんですよ。でもそうは言ってもウチらはそんなにライヴ映えする……というかレイヴ的なバンドじゃない。ロック・フェスっていうと踊らせなきゃいけないとかモッシュが起きなきゃならないってイメージがあったんですけど、私たちにモッシュなんてありえない(笑)。ただビョークとか観ててもモッシュが起きるわけじゃない。みんな静かに聴き入っている。そういう場所はあるんだろうなって漠然とは思ってましたけど、でもそんなに早く出演が実現するとは思ってなかったですね。

──出演はどういう経緯で決まったんですか。

ミト:『id』の時からツアーのチームが変わったんですよ。その時の舞台監督が、夜のレッドマーキーを仕切っているDEUCEの大山(治)さんだったんです。DEUCEはRAINBOW 2000とかでテクノ系のアーティストの招聘もたくさんやってきたチームで、ドライ&ヘヴィとかオーディオアクティヴとかもやっている人たち。ドラヘビのライヴが好きだったので共通の知り合いを通じてお願いするようになったんですが、たぶんその過程で大山さんがフジロックの方に「こんな面白いバンドがいるよ」って言ってくれたんだと思う。今はサカナクションの照明もやってる平山(和裕)さんとか、そういうスタッフ周りの繋がりが大きかった。

──そういう現場で一緒にやっていたスタッフの人たちが、フジロックの中の人にクラムボンを推薦してくれた。

ミト:そうそう。たぶんそれがとても大きかった気がします。

──最初の出演の時のことは覚えてますか。

ミト:ホワイト・ステージで、確かちょっと雨が降ってた気がします。もうその時日比谷野音のワンマン・ライヴをやっていて。ウチらは野音の時シャボン玉(を作る道具)をお客さんに渡してたんですが(注:お客が作った無数のシャボン玉を演出に使う)、フジの時もシャボン玉を持っていって事前にみんなに配って。なのでライヴの時はシャボン玉が一杯広がって、すごくキレイだったことを覚えてます。野音より全然デカいですからね。すごいなあ……と思って見てた記憶が……演奏してたというよりは見てたっていう(笑)。お客さんもたくさん入ってた気がします。最初は自分たちの居場所がわからなかったんですけど、フジロックに出ることでちょっとだけ「あ、自分たちもここにいていいんだな」と思えた。

──なるほど。

ミト:そこからライヴのやり方をいろいろ教わったところもある。2001年から野音を毎年やるようになって、室内ではなく外で自分たちの音を鳴らすことで、より広がりのある開放的なイメージでやれるようになってきた。それをよりスケールの大きな形で表現できたのがフジロックかなあ。

──以前、原田郁子さんにお訊きしたとき、フェスに出るようになって、ライヴでのお客さんとの呼吸とかコミュニケーションのやり方、どうやって自分の音楽を届かせるか、わかるようになったと言ってました。

ミト:うんうん。そういう実感はすごくありました。室内のライヴハウスやホールで暗い中でやっていても、お客さんの反応がよくわからなくて、いまひとつピンとこない。大丈夫なのかな、と。

──ああ、ガンガン踊らせるとかガチガチに盛り上げるようなバンドじゃないから。

ミト:そうそう。わかりづらいんです。じーっと座って鑑賞するか、ガンガン盛り上がるか、当時はその両極端で、その中間にあるようなウチらのバンドは、どうも居場所がない。そこで野音とかフジロックとか外で日の高いうちにやると、お客さんの顔が全部見えるんです。みんなが楽しそうに笑っている。そこですごく救われた。あ、うちら、ここにいていいんだ、やってていいんだって思えた。

──野音やフジロックで救われたと。

ミト:そうです。外でやるというシチュエーションとか環境が僕らの音楽にすごく大きな影響があるってことに気づいて。それで曲の作り方とか、みんなに届くようなショウの仕方を考えるようになった。フジとか最初はお客でしたけど、気づかないうちにそういう経験が蓄積していって、だんだん音楽にも出るようになってたんでしょうね。

──フジロックという場があったからこそ、クラムボンのいろんな面が引き出された、ということもあるかも。

ミト:そうかもしれないですね。ロックとかテクノとかダンスとか、そういうフォーマットを使わないでも広げることができるんだなって気づいたんです。

■ どんな音楽をやっていてもフジはちゃんと受け入れてくれる──
■ いちポップ・バンドとして、そういう前例を少しは残せたのかなという気はします

──2003年以降は1年置きに2011年まで5回出演。しかも最初の3回はオリジナル・アルバムが出た年に必ず出演している。これ以上ない理想的なローテーションですよね。

ミト:そうか、ほんとにそうですね!(笑)。

──そして2009年には初めてフィールド・オブ・へヴンのトリを飾ります。この時のことは覚えてますか。

ミト:覚えてますよ。確か雨が降って、裏(グリーン・ステージ)がオアシスで。あれが日本でやった最後だったんですよね。オアシス観たいなー!と思ってた(笑)。あと、すぐ隣のオレンジコートでGONGをやってたんですよ。GONGはどうしても観たかったから、頭の5分だけ観て、慌てて戻って自分たちのライヴをやったという。

──自分の演奏のことよりも、裏でやっていた人のことを先に話し出すんですね(笑)。

ミト:あはははは!(笑) なんかあそこにいるといち音楽ファンに戻ってしまうというか。もはやみんなと一緒の気分なんですよ、お客さんと演奏してる側が。不思議なもんであまり責任感を感じない……絶対みんなと一緒にうまく作れるという不思議な自信みたいなものが湧いてくる。そういう場なんですね、フジロックは。

──最近はいろいろなフェスに出る機会もぐっと増えていると思いますが、フジロックと他のフェスの違いってなんでしょう。

ミト:僕らが最初にフジロックに出た2003年の時点では、フェスも今ほどカジュアルな時代じゃなかったですからね。でも今でも、ほかのフェスとは何かが違う気がします。見せ方や作り方が根本から異なっている。それはやはりあの都市部から離れた、自然に囲まれた環境にあると思います。環境の違うところで音楽を鳴らすスペシャルな感じを、すごいポップにプレゼンしている。都心部や公園内のフェスとは、そういう意味で少し違う気がしますね。もちろんそういうフェスを否定しているわけじゃなくて、フジロックみたいな環境で行われているフェスはほかにないと思うんです。ああいう場所が人の手によって作られて、しかも20年も続いて、ある意味で日本のフェス文化を象徴する存在として親しまれている。すごいワン&オンリーな存在だと思いますね。

──フジロックがああいう形でやってフジロック文化のようなものをしっかり確立したからこそ、サマソニは違うものを求め、あえて都市型のフェスに特化した。

ミト:そういうことだと思います。サマソニはサマソニですごいバランスでやってると思うし、ロック・イン・ジャパンは日本のロック文化をしっかりプレゼンできてるし、ロック・イン・ジャパンなりの個性を確立してますからね。

──そうですね。

ミト:フジのチームってすごくファミリー的なんですよ。私たちも、フジロックという文化を形作っているミュージシャンだったりスタッフだったりするファミリーのひとつに、おこがましくも入ってるんだなと思わせてくれる。最初はただのお客さんだったし、自分たちがやっている音楽とはまったく別ものだと思ってたんですけど……でもどんな音楽をやっていても、フジという場はちゃんと受け入れてくれるんだという、いちポップ・バンドとして少しはそういう前例を残せたのかな、という気はします。

──たぶんROVOや渋さ知らズがあれだけ出てるんだったら俺たちも、と思うバンドはいっぱいるだろうし、同様にクラムボンも、若いアーティストに希望を与えているんじゃないでしょうか。

ミト:そういう流れですよね。これで成り立つのかって思わせるようなバンドだって一杯出てますからね。でもそれが面白い。踊らせるわけでも盛り上げるわけでもないけど、でもすごく感動できるようなライヴをやれれば、音楽の形態はどうあれ、ちゃんと受け入れてもらえる。それがフジロックですよね。

──何をやればフジロックで受け入れてもらえるんですか。

ミト:人と違うことやればいいんじゃないですか(笑)。同じことをやってもフジロックのファミリーには入れない気がする。人と違うことをやって、それが面白ければいいんじゃないかと。そうすればあなたもフジロックのファミリーに入れるかもしれないですよ(笑)。

  ◆  ◆  ◆

フジロック初年度の体験談、クラムボンとフジロックの親和性、そしてフジロックと他の大型フェスとの比較論など、多角的に本心から語ってくれたミト。中でも、「フジロックのライヴは絶対みんなとうまく作れるという不思議な自信みたいなものが湧いてくる」という話は、感覚的なエピソードでありながら、この特集でこれまで提示してきた“フジロック=祭り=みんなのもの論”に非常に通じる。“一体感”や“共有”という言葉にすると陳腐な響きになってしまうが、 やはりアーティストにとっても、会場にいる人々と共に作り上げるのがフジロックというフェスティバルの特異性なのだろう。

そして注目したいのが、「山の中で音楽を鳴らすスペシャルな感じを、“ポップ”にプレゼンしている」という見方だ。フジロックというフェスティバルの偉大さは、主催者側があの環境に身を置くことの覚悟を参加者に強く促しながらも、その扉は大きく開かれていることにある。都市生活者からするとフジロックと言えば過酷な環境というイメージが先行しがちだが、アクセスの方法も多様であるし実際特に近年は子ども連れも多く、あれだけの異空間を作り出しながらも、人を選ばないフェスだ。

そしてそこでは、他の誰にも似ていない個性を放つアーティストが、さらに自身の音楽の可能性を広めているという意義深い構図を描いていることが、今回のミト、そして前回のROVO勝井のインタビューからよく伝わったことだろう。(BARKS編集部)

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撮影協力:CHUM APARTMENT(http://chum-apt.net)

clammbon mini album 『モメント e.p.』
※2016年2月からおこなわれた<clammbon 2016 mini album 会場限定販売ツアー>(全国26カ所27公演)にて販売されてきたmini album 『モメント e.p.』が、現在、全国各地の取り扱い店舗にて販売中だ。店舗の情報は、clammbonオフィシャルサイトからチェックを。
なお、アートワークは製本会社の「篠原紙工 http://www.s-shiko.co.jp/」と原田郁子によるもので、“タグ付き特殊紙ジャケット仕様”
。ドローイングも原田郁子が手がけている。

TRP-10007/tropical
¥2,500(税込)
■タグ付き特殊紙ジャケット仕様
【収録曲】
1. Slight Slight -e.p.ver.-
2. 希節
3. フィラメント
4. Flight!
5. 結のうた

最終更新:7月11日(月)12時29分

BARKS