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メディア初潜入!これが軍艦島の“地下迷宮”だ

東スポWeb 7月8日(金)10時1分配信

 長崎市沖の端島、通称・軍艦島が世界文化遺産に登録されて、ちょうど1年。その軍艦島の炭坑に“地下迷宮”とも呼べる防空壕が発見された。長年、軍艦島を取材している写真家の酒井透氏が潜入し、内部の撮影にメディアで初めて成功。同島は先日、集合住宅や小中学校などの貴重な設計図が発見されたばかり。大正から昭和初期の歴史的建造物と同島の真実が見えてきた。

 軍艦島に、まさかの“戦争遺跡”があった。酒井透氏はレンジャー部隊さながらの装備を身に着け、「地下迷宮」に入り込むことに成功した。

 観光クルーズ船に乗って、軍艦島の島影とともに見えてくるのが、同島の北部にある端島小中学校の校舎。校舎の南側には、もともと島を形作っていた岩礁がある。その真下に防空壕が掘り巡らされていた。

 同島にあった炭鉱が閉山したのは1974年1月。以前から廃虚マニアの間では、防空壕もあることが噂されていたが、今回その内部にメディア初潜入を果たした。“地下迷宮”のごとく、ほぼ南北に走っている岩礁の下を縦断、横断する構造だ。

 防空壕の入り口は軍艦島の最南部にあった。そこからトンネルに入って北方向に2~3分歩くと、岩礁をほぼ東西に貫く「硬(ぼた)トンネル」にぶつかる。この部分は、同島の東側にある鉱業所から出た硬(捨て石)を島の西側に運ぶために使われていたものだ。

 トンネルのほぼ中央部分には、岩礁をほぼ南北方向に貫いているトンネルに向かうための“入り口”がある。コンクリートブロックを乗り越えると、そこから先は岩盤がむき出しの状態。さらに進むと、岩礁の最北端と思われる部分で行き止まりになる。

 かつて端島炭鉱で働いていた長崎市在住の井上秀士氏(86)によると「トンネルは45年に防空壕として造られたものです。終戦まで何度か使われよった。戦局が悪化してきよると、身を寄せる年配の姿があったです。その後、時代が変わってくると、島の南西での採炭になり、東西を貫いとったトンネルは、硬棄て坑道として再利用されることになったとです」という。

 防空壕に入った酒井氏は「本当にすごい場所でしたね。軍艦島は何度も上陸しましたが、こんなに心躍らされるところはありませんでした。国は今後30年かけて島を整備するそうですが、この防空壕も調査してほしいですね。今始めれば、当時のことを知っている人たちから話を聞くこともできます。観光だけの軍艦島で終わってほしくないですね」と語る。

 折しも5日に、軍艦島に廃虚として残る集合住宅や小中学校などの設計図336枚が見つかった。崩壊の危険のある建物もあり、市は「保存計画を作る上で役立つ」としている。

 市によると、島には大正から昭和初期にかけて建てられた鉄筋コンクリート建造物が多く存在。初めて見つかった設計図は当時、工事を請け負った清水建設が保管しており、今年2月に「資料整理中に見つかった」と市に連絡があった。37~61年に作成された図面で、部屋の配置や鉄筋の数が記されている。地上10階建てで島内最大のアパートの増築時の図面も含まれている。

 市は来年12月までに、国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会の事務局に保存計画を報告する。世界文化遺産登録から丸1年。まだまだ未踏の場所がありそうだ。

最終更新:7月8日(金)10時24分

東スポWeb