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鶴松の死を嘆く豊臣秀吉だが、実は3人目の子どもだった!?

ITmedia ビジネスオンライン 7月9日(土)8時35分配信

編集部F: 先週(7月3日)放送の『真田丸』は、いろいろと話題沸騰な内容でしたが、先々週の放送を観て、小日向さんは思わず涙してしまったとか。

【豊國神社にある秀吉の銅像】

小日向えり: はい、そうなんです……。豊臣秀吉の子どもの鶴松が幼くして亡くなるシーンは、辛くてぐっときました。私も実の姉に子どもがいるので、それを想像して哀しくなり、思わず茶々と一緒に号泣してしまいました。

 ところで、秀吉はなかなか子どもができず、真田丸の中でも鶴松が最初の子どもだと描かれていますが、実は3人目ではないかという説もあるのをご存じですか?

編集部F: え、それは初耳です。

小日向: 諸説あるのですが、秀吉が長浜城(近江)を治めていた30代のころ、側室の南殿との間に男女2人の子をもうけたと言われています。男子の幼名は石松丸で、後に秀勝と名乗りました。

 以前、大河ドラマ『江 ~姫たちの戦国~』(2011年放送)の取材の仕事で、浅井長政の菩提寺である徳勝寺(滋賀県長浜市)に訪れたとき、秀勝のご位牌を見ました。実在したかどうかは微妙と言われていますが、それ以来、私は秀勝の存在を信じています。

編集部F: 秀勝というと……。

小日向: そうですよね。秀吉の子どもに秀勝という名は3人います。一人はこの石松丸秀勝、もう一人は織田信長の四男で、秀吉が養子に迎えた羽柴秀勝(於次丸秀勝)。そして最後は豊臣秀次の弟で、こちらも後に秀吉が養子にした豊臣秀勝(小吉秀勝)です。

 小吉秀勝は浅井三姉妹の末っ子、お江と結婚しますが、朝鮮出兵して戦地で病死しました。

編集部F: うーん、同じ名前で混乱します(笑)。

小日向: こうしてみると、秀吉は「秀勝」という名前にやたら思い入れがありますよね。だからこそ最初の子どもの名前だったのではないでしょうか。ロマンを感じてしまいます。

編集部F: そして前回放送の最後に、後の豊臣秀頼となるお拾が生まれました。鶴松が「棄(すて)」だったのに対して、「拾(ひろい)」としたわけですが、なかなかシャレているなと思います。

 ただ、お拾が生まれたことで、ここから豊臣家が一気に崩壊に向かって突き進んでいくわけですね。

小日向: その一連の騒動の口火を切るのが、次回(明日)の放送でピックアップされる秀次です。秀次については、ぜひ来週のこの連載で語りましょう。

最終更新:7月9日(土)8時35分

ITmedia ビジネスオンライン