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ラジオ愛した永六輔さんを黒柳徹子が追悼

シネマトゥデイ 7月11日(月)21時32分配信

 「上を向いて歩こう」の作詞家としても知られるタレントの永六輔さん(享年83)の訃報を受け、永さんと60年以上付き合いのあった黒柳徹子が11日、所属事務所を通じたFAXでコメントを発表した。黒柳が司会を務めるトーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)では12日の放送内容を急遽変更し、永さんの追悼番組を放送する。

 ラジオ・テレビ番組の企画・演出、作詞家、ラジオパーソナリティなどとして才能を発揮し、黒柳とはテレビ放送黎明期からの盟友である永さん。今年2月に放送された「徹子の部屋」40周年記念放送回に大橋巨泉とともに登場し、黒柳と3人で軽快なトークを繰り広げた。また、6月27日に放送された永さんのラジオ番組「六輔七転八倒九十分」(TBSラジオ)の最終回には黒柳が駆けつけ、術後療養中のため収録を休んでいた永さんとの爆笑エピソードを披露していた。(編集部・入倉功一/海江田宗)

以下、黒柳のコメント全文。

永六輔さんとは、60年以上のお友達になります。

その間、一回もケンカをしたことありません。

「午後のおしゃべり」「夢であいましょう」で、はじめて会いました。「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など、八大さん(中村八大)と作った名曲のころ、毎日、渥美清さん、坂本九ちゃん、演出の末盛さん(末盛憲彦)とみんなで集まって、おもしろいことを話し合っては、笑っていました。

永さんが、八大さんと世界中の日本人学校を訪問してるときは、一行ですべてがわかる絵はがきをくださいました。日本の中を旅したのは、自分で見たり聞いたりしたことを、全国まわって、ラジオで伝えたかったからです。テレビより、最後までラジオが好きでした。6月27日、足掛け40年以上続いた永さんのラジオ番組が終わりました。私も終わりのほうにかけつけて「永さん! ごくろうさまでした!」と叫びました。私が呼び掛けると、目を開けて笑ったりしていたそうです。奥さんの昌子さんが亡くなって14年半、よく1人で頑張りました。旅の名人でも、毎日旅先から何度も昌子さんに電話をしていましたから。1人になって、私と結婚の話も出ましたが、主に、永さんからですが、お互い昌子さんのようにはいかないと、わかっていました。「ゆめ風基金」という障害を持った方たちへのボランティアにも、すごく力を入れていました。お葬式は、実家の浅草のお寺です。

亡くなる3日前と4日前にお見舞いに行きました。話はできなかったけど、私が「永さん!」と言うと、必ず、目を開けて私を見て、声を出して笑いました。

このごろ、お友達が亡くなって、本当に、最後の一撃のような、永さんの死です。

でも、生きてるもののつとめとして、当分、仕事、続けます。永さん、永いこといいお友達でいてくださって、ありがとう。アフリカなんかで「上を向いて歩こう」と聞くと、きっと、空を向いて涙がこぼれないようにすると思う。昌子さんによろしく。

黒柳徹子

最終更新:7月11日(月)21時52分

シネマトゥデイ

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。