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自制なきオンデマンドとテスラの事故

ITmedia ビジネスオンライン 7月11日(月)8時10分配信

 「テスラが自動運転で死亡事故」という最初のつぶやきがSNSで回って来たとき、「これは面倒な誤解が広まるぞ」と思った。

【テスラが6月30日に発表した事故報告】

 テスラという会社のクルマ作りは、よく言えば大胆、悪く言えば調子の良い安請け合いだ。テスラの本質は「欲望の具現化」にある。電気自動車と言えば「遅い」「長距離を走れない」という印象が支配的であったところへ、常識外れの大容量バッテリーと大出力モーターを搭載して、とんでもない加速力と航続距離を持つモデルSを登場させる。「電気自動車は高い」という印象を覆すために高い動力性能を保ったまま3万5000ドル(約350万円:1ドル=100.74円で換算)からという「モデル3」を発表する。

 顧客が望むことを優先的に叶えると言えば聞こえが良いが、そこには開発の障害となるさまざまな背反をばっさりと切り落とし、今顧客が望んでいることのみに選択と集中して叶える姿勢がある。

 他の自動車メーカーからしてみれば、「そんなやり方で良いなら誰も苦労はしない」と言いたくなる割り切りだ。ビジネスとしてテスラが傑出しているのはこの割り切りだ。技術的理想論はともかく、今顧客が注目していることにリソースを集中投下する。

●スタンドプレーの名手

 モデルSはその加速力と航続距離を確保するために重量と価格を気にせずに大量のバッテリーを搭載した結果、その車両重量が2.2トンを越えた。イーロン・マスクCEOの言葉によれば、テスラの企業価値は「持続可能な輸送手段へのシフト」である。内燃機関をモーターに置き換えることによって、走行中に限って言えばCO2(二酸化炭素)排出量は確かにゼロになる。

 しかし、その馬鹿げた質量増加は物理法則が及ぶ限りエネルギー効率向上の邪魔になる。が、そこは気にしない。走行中のCO2負荷は見なし上ゼロなので、どんなにエネルギー効率が悪くても構わない。ゼロは何倍にしてもゼロだからだ。

 ただし、リアルワールドでは電気エネルギーはもちろんゼロ負荷ではない。本気で「持続可能」を考えるとすれば、エネルギーの調達源、つまりインフラ電力の発電負荷を考えなくてはならないはずなのだ。それにはどんな方法で発電されたかをチェックしないとCO2負荷が判定できない。そこを真面目に議論しようとすると急に話が面倒になって、簡単に白黒が判別できないのだ。条件分岐によるケースバイケースと是々非々という難易度の高い考察が必要になってしまうのだ。顧客の注目分野で拍手喝采(かっさい)を浴びるスタンドプレーを演じるのにそんな難易度の高い話はダメだ。大衆はついて来られない。

 既存の自動車メーカーのエンジニアはそういう点を真面目に解決しようとして、できるだけバッテリー重量をセーブしながら、顧客の利便性を確保しようと研鑽(けんさん)を重ねているのだ。言い換えれば、エンジニアの良心とビジネスのバランスを取りながら、動力性能と航続距離、車両重量のパラメーターをどう適正配分するかの悩みである。

 それを「価格と車両重量にはしわ寄せしてOK」ということにすれば、ソリューションをひねり出すのは簡単なことだ。テスラがやっていることは、技術的にはどこの自動車メーカーでも簡単にできる。現実にできないのは企業としての使命感や倫理観が邪魔するからだ。

●自動運転の安売り

 それは自動運転でも同じだ。そもそもテスラのオートパイロットと呼ばれるシステムは、社会通念上思われている自動運転ではない。国交省が定める自動化の分類は以下のようになっている。

レベル0 自動化なし

常時、ドライバーが、運転の制御(操舵、制動、加速)を行う。

レベル1 特定機能の自動化

操舵、制動または加速の支援を行うが操舵・制動・加速の全てを支援しない。

レベル2 複合機能の自動化

ドライバーは安全運行の責任を持つが、操舵・制動・加速全ての運転支援を行う。

レベル3 半自動運転

機能限界になった場合のみ、運転者が自ら運転操作を行う。

レベル4 完全自動運転

運転操作、周辺監視を全てシステムに委ねるシステム。

 このレベル分類によれば、テスラのオートパイロットはレベル2に過ぎず、現実的には運転支援であって自動運転ではない。曲がりなりにも自動運転と言えるのはレベル3からだ。

 今回の件を懸念した国交省からも、「5月に米国において事故が発生したテスラの『オートパイロット』機能を含め、現在実用化されている『自動運転』機能は、運転者が責任を持って安全運転を行うことを前提とした『運転支援技術』であり、運転者に代わって車が責任を持って安全運転を行う、完全な自動運転ではありません」という報道発表が行われている。

 テスラ自身、オートパイロットは本当の意味での自動運転でないことは百も承知だ。その上で、「顧客が望むニュースを発信したい」メディアが誤解してはやし立てることを看過してきた。いや、自らもその誤解を助長するような情報発信をしてきたと言っても良い。7月9日現在のテスラのWebサイトをにはこう書かれている。

自動運転

自動運転機能はフォワードビュー カメラ、レーダー、そして360度超音波センサーをリアルタイムの交通情報と組み合わせることで、道路状況を選ばずにModel Sの自動運転を可能にします。車線変更は方向指示器の操作1つで行えるようになり、目的地に到着すると、Model Sは駐車スペースを見つけて自動的に駐車するようになります。安全機能は標準で装備され、一時停止標識、信号、通行人を常時監視すると共に、意図しない車線変更を警告します。

これらの自動運転機能は、ソフトウェアアップデートを通して段階的に有効になります。

 ここに書かれていることを普通に読んだら、レベル4が達成できているとしか思えない。今となっては最後に「ソフトウェアアップデートを通して段階的に有効になります」と書いて逃げを打っていることは分かる。

 つまり「道路状況を選ばずにModel Sの自動運転を可能にします」は「これから段階的に可能にしていきます」という話であって、今既にそうだとは言っていないということだ。だが、ユーザーは「テスラは他社と次元の違う高度な技術によって一足早くレベル4の自動運転を可能にした」と理解するのが普通だろう。公平に考える限り、そう受け取るユーザーが悪いとは到底思えない。

 あえて誤解を誘い、卓越した技術があるかのように装う。それによってテスラの企業価値には多大なメリットがあったはずだ。

●人が運転するもののあり方

 今回の事故は、その本質においてアンチロックブレーキ(ABS)やスタビリティコントロール(ESC)の付いたクルマが、その機能を持ってしても事故を回避できなかったということと何ら変わらない。それらのセーフティデバイスは、魔法ではない。ベターな結果を求めるためのものであって、常時ベストを保証するものではないのだ。

 それをメディアと一緒になって顧客の見たい夢のように誤解させた道義的な罪はやはりテスラにあると思う。メディアも企業もユーザーにおもねり過ぎなのだ。どちらも専門家としての矜持を持って、そんな夢ばかりでないことをちゃんと伝えていく必要がある。

 例えば、国交省のレベル2「ドライバーは安全運行の責任を持つが、操舵・制動・加速全ての運転支援を行う」は、もうずばり現在の最新型アダプティブ・オート・クルーズ(ACC)を指していると言って良い。これについての取り組みを見てみると、技術的可能性だけではなく、それによって人がどう行動するかまでを綿密に考えているメーカーも少なくない。

 ボルボはACCでのクルマの振る舞いを洗練させている。ACCでの加速や減速は普通のドライバーよりはるかにジェントルである。それは主に高速道路において、ドライバーとクルマのシステムによって安全監視を二重化し、安全性を向上させることが目的だからだ。原則としてボルボはこのACCを一般道で使用することは認めていない。

 ドライバーが注意力散漫になったり、居眠りしたりということは現実の高速道路上で起きており、それが事故の原因となるケースは当然多い。だからそうしたヒューマンエラーを排除することがACCの目的なのだ。ACCの加減速マナーが乱暴で不快感を招き、その結果、ドライバーがACCを使わなければ、それによって防止できたはずの事故が防げなくなる。また同時にドライバーからステアリングへの操作が一定時間以上途切れると警告音を鳴らしてドライバーの主体的運転を喚起する。そこにはACCを快適なものにして必ず使われるようにすると同時に、ACCだけに依存した運転が行われないようにするロジックが組み込まれている。

 大事なのは安全監視の二重化だ。どちらか一方ではダメなのだ。その理念を伝えつつ、普及を図らねばならないはずのACCを、さも安楽な自動運転のバラ色の未来であるかのように情報発信し続けたことは、テスラとメディアの共犯による明らかなミスリードである。

 今回、テスラが発表した声明を読む限り、テスラにもステアリング操作が途切れると警告する機能は付いていた。そういう意味で言えば、ハードウェアの成り立ちそのものには大きな差はないはずである。

 差があるとすれば、ドライバーが運転しているものが何なのかを自覚させる部分だったように思う。「夢の自動運転のクルマを手に入れよう」――そういうミスリードがあれば、ドライバーにとって、ステアリングから手を離しているときに鳴る警告音はうるさい風紀委員のように感じられてしまう。

●乱暴な混同を避けるために

 そして、看過できないことがもう1つある。こうした誤解を未必の故意とも言える状況で拡散しておきながら、いざ事故が起きた途端、「オートパイロットは自動運転ではなく、責任はドライバーにある」とメーカー責任の全否定声明を出したことだ。それを今言うならば、なぜメディアがテスラの自動運転を持ち上げているときに異論を差し挟まなかったのか。

 今回の事故で自動運転を巡る状況は一変する可能性が出てきた。今まで「夢の自動運転がやってきた」と言う論調で読者におもねりたかったメディアは、今度は一気に掌を返して「自動運転はやはり危険だ」という論調に変わる。ほんのわずかな接触事故も鬼の首を取ったように伝えられるだろう。炎上のスタンバイはできたのだ。国交省はこういう批判を一番嫌う。当然審査や基準のアップデートにはブレーキがかかるだろう。

 それでも、本当の自動運転に向けた努力は営々と行われている。レベル2と3の間にはクルマというハードウェアだけではどうしても越えられない壁がある。社会システムそのものの大きな改革が必要だ。既に現段階では技術的な問題よりも政治的、法律的な問題の方がはるかに大きい。そこを乗り越えるためには自動車メーカー自身がリスクを取ることが必要だ。

 ボルボの研究開発担当上級副社長・ピーター・メルテンスは2015年11月19日のリリースで、「ボルボは自動運転車とその責任について明言した最初の自動車メーカーの1つです。自動運転モードでの走行の際には、自動車メーカーが車両の動作に全責任を負うべきと強く考えています。もし、自動車メーカーが責任を回避すれば、自動運転技術が信頼されないのは明白です」と、驚くべき発言をしている。

 これが自動車メーカーのスタンダードになれば、ドライバーが運転の責任を負うレベル2までの運転支援システムと、メーカーが運転の責任を負うレベル3以降の自動運転システムにはもっとはっきりした線引きがされるはずだ。自動車事故によって人命が損なわれることは残念ながら多分ゼロにはできない。できないが減らすことは可能だ。そのための最も有力な選択肢の1つが自動運転であることを再度熟考する必要がある。

 行儀の悪い宣伝で、自動運転のイメージを毀損(きそん)したテスラの事故で、より人が死なない未来を拒むようなことがあってはならない。

(池田直渡)

最終更新:7月11日(月)8時10分

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