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次女・永麻理「見事に生ききった」 夢の中でもラジオを…

デイリースポーツ 7月11日(月)20時42分配信

 ラジオパーソナリティーや作詞家として活躍したタレント、永六輔さんが7日に83歳で死去したのを受け、次女でフリーアナウンサーの永麻理が11日、東京・赤坂のTBSで会見。10年にパーキンソン病と診断され、1月末には背中の圧迫骨折の手術を受け、車椅子生活を続けており、この3カ月近くは自宅で在宅看護をしていたが、時折、夢の中でラジオで話すようにしゃべっていることがあったことなど、最後まで永さんらしく生き抜いたことを明かした。

 この日、永さんの生家でもある浅草の最尊寺で密葬を執り行ってから、そのままラジオに生出演し、その後に喪服のままで報道陣の前に姿を見せた麻理は「フッと力が抜けるみたいに『じゃあね』という感じでなくなった。本人も死んだことに気づいてないんじゃないかなという感じで、自由な人だったから、自由に旅立った。江戸っ子で照れ屋だから、私も姉も『えっ、今?』という感じで逝っちゃった。見事に生ききった」と永さんらしい最期を明かした。

 1月末に背中の圧迫骨折の手術をしたときに入院したが、4月19日に退院。以降は自宅で、麻理や姉が在宅看護を行う生活だった。その間は寝ているときに夢でラジオで話すようにしゃべっていることもあったという。

 亡くなる前日の6日は意識もあり、食事をしっかり取っていたという永さん。最後に話した言葉は、アイスキャンデーを食べさせたときに発した「おいしいね」だった。

 この日の密葬にはフォーク歌手の小室等や、作詞家きたやまおさむらが参列した。麻理は棺にナタリー・コールが歌う「アンフォゲッタブル」のカセットを収めたという。

 黒柳徹子は10日に自宅を訪れ、永さんと1時間以上向き合い「死んじゃっているの?死んじゃったかな」と話しかけながら、想い出話に花を咲かせていたという。

 14年前に亡くなった妻・昌子さんを溺愛していたという永さん。麻理は「七夕の日に母に会いに行って、三途の川じゃなくて、天の川を渡っちゃった」としのんだ。晩年はパーキンソン病をわずらい、車いす生活が続いたが「やっと体から解放されたので、中村八大さんや坂本九さん、渥美清さんや母と会って、天国を飛び回っていると思う」と天井を見上げた。

最終更新:7月11日(月)21時15分

デイリースポーツ