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伝説の一夜、後世に 横浜のクラブ「モカンボ」が復活

カナロコ by 神奈川新聞 7月11日(月)11時10分配信

 伝説の一夜を横浜のジャズ遺産に-。1953年から54年にかけ、伊勢佐木町(横浜市中区)のクラブ「モカンボ」に、後の日本ジャズ界を背負う名プレーヤーが集い、ジャムセッション(即興の協奏)を行っていた。ある一夜のセッションは後にレコード化され、日本ジャズの転換点と評される。忘れられつつある伝説を後世に残そうと、地元店主らが16日、イベントをスタートさせる。

 アルトサックスの渡辺貞夫、ピアノの穐吉敏子、テナーサックスの与田輝雄…。後の日本を代表する名手が10人以上、顔をそろえた。62年前。みんな20代だった。

 舞台は伊勢佐木町2丁目にあったクラブ、モカンボ。オーナーの好意で閉店後からセッションが行われた。仕掛けたのは植木等、ハナ肇ら。不世出のコメディアン2人も、当時はジャズプレーヤーだった。

 54年5月27日。その夜は、20年以上の時を経てレコード化された。演奏レベルの高さと異様な熱量に、伝説と呼ばれるようになった。日本のジャズ史における転換点とも言われる。

 現役のアルトサックス奏者・五十嵐明要(84)はモカンボにレギュラー出演するバンドの一員だった。「いろいろな店で演奏を終えたやつらが、店の終了後に集まるのがジャムセッション。米国の文化を、僕らが渋谷で始めたのが最初。モカンボに集まる連中も、みんな若かったからね。いいところを見せよう、負けてたまるかと、熱がこもっていたよ」

 伊勢佐木町がジャズの発信地となり得たのは、敗戦と米軍による接収が関係していた。横浜大空襲で焼けた街には、かまぼこ兵舎が並んだ。「不二家」は将校クラブになった。米軍はジャズミュージシャンを求めた。日本人プレーヤーは演奏を磨く場、そして最新のレコードを求め、キャンプに入っていった。

 モカンボでセッションが始まった53年は、接収解除と重なっていた。同町で婦人洋服店「むさしや」を営む津田武司(77)は、当時の空気を覚えている。

 「ガムやコーラから始まって映画や音楽、ファッション。街を焼いた米国という憎し敵が、憧れの的になっていく。なんとも言えない複雑な思いを抱え、かまぼこ兵舎を見ていた。そして接収が終わり、街全体が一気に『よし、俺らの街をつくるぞ』という異様な高揚感に包まれた」

 戦前から映画館が立ち並ぶ娯楽の街には、続々とナイトクラブやキャバレーがオープンした。夜な夜な、ジャズが流れていた。

 津田はモカンボセッションに、一つの結晶を見る。

 「米軍がいたからこそのジャズ、接収から解放され一気に自由を謳歌(おうか)し始めた人たちの興奮、街を再興しようという熱気。街全体にすさまじい熱量があった。モカンボのセッションはそんな時代、そして街の空気を濃縮させた夜だったんだと思う」

 伝説の再現となる「横浜モカンボ・セッション」は、16日に横浜にぎわい座(同区)で行われる。街の有志らは恒例のイベントにし、横浜に根付くジャズ遺産の継承、そしてアーティストの育成に努めていくつもりだ。

 午後1時~2時半に当時を知る人たちによるトーク、同3~5時に18奏者によるジャムセッション。前売り3千円、当日3500円。問い合わせは、ジャズ喫茶ちぐさ電話045(315)2006。

最終更新:7月11日(月)15時7分

カナロコ by 神奈川新聞