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頑固だった永六輔さん スポンサーの商品に「まずい」

東スポWeb 7月12日(火)16時39分配信

 7日に83歳で死去した永六輔さんは学生時代にNHKラジオの「日曜娯楽版」にコントを投稿して放送作家となり、生放送のバラエティー番組「夢であいましょう」(NHK)には脚本も書き、自らタレントとして出演もした。

 テレビリポーターで目黒区議の須藤甚一郎氏(77)は「テレビの黎明期で、生放送だったから放送作家といってもゲリラ部隊のようなもの。笑いへのこだわりがあった」と振り返る。

 角刈り頭に長~いアゴも親しまれた。

「ある時、笑いすぎてアゴが外れてしまい、仲間が接骨院に連れて行こうとドタバタしてたら、着く前に入っちゃった。なのに顔は長いし、ふにゃふにゃしゃべるものだから『もう入っているよ!』と怒鳴っても周りはまったく気付かなかった――という話は本人もよくしゃべってましたね」

 作家としては「大往生」が200万部を超えるベストセラーとなり、エッセイストなどの活動と合わせて2000年に菊池寛賞を受賞。作詞家としても「上を向いて歩こう」だけでなく水原弘さんの「黒い花びら」(59年)、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」(63年)などヒットを生み出した。

 1974年には野坂昭如さん、小沢昭一さんと「中年御三家」を結成し、大人気となった。

「永さんは若い時、『何でもできる』とタンカを切って仕事を断らなかった。でもそのウラで本屋さんに駆け込んで付け焼き刃で猛勉強した。江戸文化、風俗、銅像や太鼓やら何でも研究者レベルの物知りになる。そのくせ、せっかちで時間にはうるさかった。待ち合わせの時間に相手が遅れると、すぐに帰っちゃってた。テレビの番組スポンサーの商品を出されて平気で『まずい』と言って、番組を潰したこともある。頑固な一面もあった」

 昔の尺貫法の復権運動、天皇陛下に公式の場で着物を着てもらおうという活動「天皇に着物を!市民連合」、近年は反原発、反戦にも力を注いだ活動家でもあった。

 須藤氏は「おバカなことでもまじめな活動でも一生懸命やる。若い時から売れっ子だったけど、決して偉ぶらなかった。だから愛されたのでしょう」と惜しんだ。

最終更新:7月12日(火)16時49分

東スポWeb

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。