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《白球の詩》尊い仲間に涙と感謝 榛名・佐藤匠主将

上毛新聞 7月12日(火)6時0分配信

◎二つの大役終わる

 制球力には自信があった。夏3連覇を狙う健大高崎の強力打線に、自分の投球がどこまで通用するのか楽しみだった。

 不思議と緊張していなかった。ただ、体は正直だ。強気に攻めるインコースの球が決まらない。ボール球が先行し、ストライクを取りにいった甘いコースを狙われた。「力みがあって、思った通りの投球ができなかった」

 本来の投球を取り戻せないまま、三回途中で降板。それでも主将の役目が残っている。攻撃時にはベンチのナインに「まず1点。流れをこっちに持ってくるぞ」と鼓舞し続けた。諦めたくなかった。

 結果は五回コールド負け。最後の夏は短かった。主将と投手という二つの重責を担った1年が終わった。もう少し長く、チームメートと一緒にグラウンドに立ちたかった。それでも「幸せな時間だった」。

 本格的に投手を始めたのは高校生になってから。少年野球での経験はあるが、高崎榛名中時代に所属した硬式野球チームの富岡ボーイズでは内野手だった。昨夏の群馬大会は遊撃手で先発出場した。

 その夏の大会後、新チームは始動した。3年生が引退して、残ったのは自分を含めた2年生2人と1年生7人。大会に出るには“助っ人”を借りるしかなかった。もちろん「自分が投げる」と思った。1年時から全体練習後に続けていた自主練習メニューに下半身強化を加えた。

 エースを務めると同時に、主将に指名された。古沢慶二監督(52)が「これまで指導してきた中で、(一人の選手に)二つとも任せたことはなかった」という重責を背負った。不慣れな大役を一度に担うのもチーム事情を考えれば仕方がなかった。

 もともと周りを引っ張っていく性格ではない。自分に務まるのか不安だった。それでも自分なりに主将の役目を果たそうと練習中から大きな声でチームをもり立てた。

 少人数での練習は、試合形式ができないという制約があった。大会のたびに他の部活動から助っ人を集め、なんとか出場を続けてきた。苦しかったが、何より試合ができる喜びの方が上回った。

 今大会も野球経験者のサッカー部員に協力してもらい、13人で臨んだ。急造チームをまとめる苦労はあったが、「野球部員以外の仲間が一生懸命やってくれたからチームがつくれた」と感謝の言葉を忘れない。

 新チームは8人で始動するという。ちょうど1年前の自分たちと重なる。練習から手を抜かずに頑張れば、来年の夏までに力が付くことを行動で示してきた。「投手としては悔しい結果となり、申し訳ない。文句を言わず付いてきてくれたみんなにありがとうと言いたい」。ようやく肩の荷が下りた。(千明良孝)

最終更新:7月12日(火)6時0分

上毛新聞

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