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坂本九さん長女が語る 永六輔さん作詞「上を向いて歩こう」秘話

東スポWeb 7月13日(水)6時0分配信

 数々の名曲の作詞やベストセラー「大往生」などの著作、さらにラジオパーソナリティーなど多方面で活躍した永六輔さんが7日に肺炎のため死去していたことが11日、分かった。83歳だった。あまたの作品の中でも世界中で大ヒットになったのが、作詞した「上を向いて歩こう」だ。この曲を歌った坂本九さんの長女で歌手の大島花子(42)が、永さんとの思い出と“名曲秘話”を本紙に明かした。

 パーキンソン病を患っていた永さんは足の骨折で車椅子生活を余儀なくされ、最近は自宅療養に専念。担当の医師によれば「死因は肺炎としますが、老衰といっていい状況」。葬儀は既に近親者だけで済ませ、後日お別れの会を予定している。

 テレビ草創期から放送作家、出演者として番組づくりに関わってきた永さんは、日本のテレビ史の“生き字引”。今に続く女子アナブームも永さんが礎を築いた。

「ばらえてい テレビファソラシド」(NHK、1979~82年)では、複数の女子アナが司会を務めたが、「当時は女子アナが司会という発想はなかったが、永さんの強い意向で決まった。これが女子アナブームの先駆け。また当時はキワモノ扱いだったタモリをNHKの番組に起用したのも永さん」と元テレビマンは明かす。

 ただいつしか、テレビとは距離を置くようになった。「実はテレビの現場が嫌い。言葉のみで伝えるラジオの魅力にはまり、晩年はほとんどテレビに出なかった」(同)

 1972年には「6日間世界一周」という離れ業も。東京→ホノルル→ロサンゼルス→グアテマラ→パナマ→ベネズエラ→リオデジャネイロ→ヨハネスブルク→ナイロビ→チューリヒ→ロンドン→フランクフルト→イスタンブール→ベイルート→カラチ→デリー→バンコク→香港→東京。飛行時間合計71時間。帰国した日に平気な顔をしてラジオ番組の司会をしたという、底知れないバイタリティーがあった。

 普段はとても無口だった。「話すのが嫌いというわけではなく、相手の話をじっくり聞いている。とても聞き上手だったので、相手も気持ち良く話すんです」とラジオ関係者は言う。

 永さんの作詞家代表作は何といっても「上を向いて歩こう」(61年)だろう。この曲は「スキヤキ」にタイトルを変えて63年、米ビルボードチャートで1位に輝く。これを歌った坂本さんの娘である大島は「とても親しい親戚の方のように定期的にお会いしていた。数々の名曲を残した偉大な方」と振り返る。

「上を向いて歩こう」は、東日本大震災の被災者を勇気づけた名曲としても知られる。だが大島は「被災地で歌われていることに永さんは『この曲は“頑張ろう”という言葉が入っていない。人を励ますための曲じゃないんだ』という話をなさっていた。永さんは子供のころ、『男の子なら泣くのを我慢しろ』と言われたから『泣きたい時も我慢して顔をゆがませている男の子をイメージして書いたんだ』と話していた」と明かした。

 それでも、この曲には多くの人が励まされた。「泣きたいけど泣いていられない、誰だってそういう日々があるだろうし、そういうところに多くの人が共感したのではないかなと思っている」

 坂本さんと永さんのコンビでは「見上げてごらん夜の星を」(63年)も誰もが知る名曲の一つ。「父が主演したミュージカルの曲なんです。当時は海外でミュージカルから生まれた曲がスタンダードナンバーになっていた。日本でもそういう曲をという思いで作った、と聞いたことがあります」

 大島が最後に永さんに会ったのは昨年2月、自身のアルバム「柿の木坂」を持って永さんのラジオ番組に出演した時。このアルバムには永さんが作詞した「そして想い出」を収録。これは世界で初めて手話からできた曲だ。

「父と永さんは一緒に手話を習っていて、そのときにできた曲。永さんの手話は本当にきれい。障害者支援にも熱心に取り組まれていたと聞いています」。同アルバムはカバーアルバムだが「永さんに『選曲がよかったね』と言われた。最後の最後に、歌手として背中を押していただいたのかな、と思う」と故人をしのんだ。

最終更新:7月13日(水)7時1分

東スポWeb