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<Wコラム>朝鮮王朝を揺るがした「悪女・妖女・極悪女」~朝鮮王朝の3大悪女

WoW!Korea 7月13日(水)17時36分配信

朝鮮王朝は王を頂点とする中央集権国家だったのですが、儒教的な価値観が国土の隅々まで浸透していました。それによって社会がどうなったかと言いますと、格式と序列が重んじられました。今までの伝統をしっかりと踏襲したうえで、格式を持って序列社会を作るということが朝鮮王朝の統治理念になり、厳しい身分制度が敷かれました。

■儒教的な考え方

 王族を別格とすれば、身分制度の上位は両班(ヤンバン)です。これは貴族階級に当たり、地主層として一番の特権階級でした。その下が中人(チュンイン)と言いまして、下級官僚とか専門的な技能を持った人々、例えば医者とか通訳です。

 次が常民(サンミン)。これは一般庶民のことで、農民、漁民、商人とか、物を作る人たちです。圧倒的にこの常民が多かったわけですが、その下に、最下層の身分である賤民(チョンミン)と呼ばれている人たちがいました。中でも一番多いのが奴婢(ノビ)で、他に芸人とか妓生(キセン)です。

 また、朝鮮王朝は儒教を崇拝して仏教を迫害しましたので、仏教の僧侶もこの賤民に該当します。

 厳しい身分制度を敷いたのは、人間にはそもそも序列があり、それを守ることによって安定した社会が生まれるという儒教的な考え方があったからです。そうした身分制度の中で男尊女卑的な風潮にもなりました。

■高麗王朝時代はほぼ男女同格

 朝鮮王朝は、高麗王朝と比較するとよくわかります。朝鮮王朝の前の高麗王朝では、仏教を信奉していましたので、わりと男女同権に近い形になっていました。仏教には平等思想があり、そういう面でいきますと、高麗王朝では女性の権利は男性に等しいくらいにありました。たとえば、親から遺産をもらう権利もあったし、戸籍も男女にかかわらず生まれた順番に書くということで、序列的に息子も娘も同じように扱われました。

 女性が自由に再婚する権利も高麗王朝時代にはありました。ただ、初代王・王建(ワン・ゴン)が自分の国を大きくする過程で、地方豪族を取りこむために政略結婚を繰り返しました。彼自身が重婚の常習者みたいな人で、高麗王朝では一夫多妻制になっていました。当時は、たいていの男性は結婚すると通い婚になります。妻が夫の実家に入るというよりは、妻が自分の実家にそのままいて、男性がそこへ通います。そのほうが生活の上では便利だったのかもしれません。

 多くの妻を抱えられるのは貴族層とか地主とか特別な人です。一般庶民にいたっては普通に、妻1人という生活を貫いていました。

 高麗王朝から朝鮮王朝になったときに一番大きく変わったのは、国教が仏教から儒教になったことです。結婚形態も一夫一婦制となりましたが、儒教的な男尊女卑ということが強調される社会になりました。

 その結果、女性は学問をさせてもらえなかったので、読み書きはできませんでした。

 歴史的な史料を見てみますと、王妃の中にも文字が読めない人が何人もいました。王族女性ですらそうなのですから、一般家庭で女性に教育を受けさせるところはほとんどなかったのではないかと思います。

■本当に過酷な運命

 科挙は全国的な官吏登用試験ですが、この科挙を受ける権利も女性にはありませんでした。官職に就けるのは科挙に受かった人たちですから、女性は王宮の中の女官を除くと、官職に就けないということになります。かなり才能のある人でも、自分の才能を伸ばす術がないというのが、女性の現実だったのです。出産、養育、家事に専念し、女性は男性の補助的な役割に終始せざるを得なかったといえるでしょう。

 出世を望む唯一の方法は、王宮の女官になることです。よほどの美人であれば王の目に留まり、側室になって王の子供を産むという可能性もありますが、それもほんのわずかな例です。それでも、女官になるというのが、女性が公の職に就ける唯一の方法でした。

 朝鮮王朝時代は大体、王宮に1千人くらいの女官がいたと言われていまして、末期になってくると、財政的な問題もあって500人くらいになります。

 なお、王宮に来る女官は、王と婚姻したというふうに見なされました。もちろん、王宮にいる男性との恋愛は御法度で、見つかると処刑されました。本当に命がけなのです。『宮廷女官 チャングムの誓い』でも、ミン・ジョンホとチャングムが恋仲に近いような感じになっていきますが、現実問題で言いますと、ああいう形で恋愛が発覚すると、女官のほうが処刑されます。もし妊娠したときは大変なことになりまして、王に不貞を働いたと見なされ、生まれた子供が3か月を過ぎると母親が処刑されます。3か月というのは授乳期間を考慮されているだけです。

 生まれた子供は奴婢になります。本当に過酷な運命です。

 さらに、女官が病気になったりすると、王宮から出されてしまいます。結婚も許されていませんので、寂しい晩年を過ごさざるを得なかったというのが、王宮の女官の現実だったのです。

■悪女と呼ばれる生き方

 朝鮮王朝時代の女性は厳しい現実にさらされていましたが、その中で典型的な悪女と呼ばれている3人を紹介しましょう。

 張緑水(チャン・ノクス)は、10代王・燕山君(ヨンサングン)の側室です。宴席で歌舞音曲を披露する妓生になります。燕山君より10歳くらい年が上だったと言われていますが、燕山君に歌の上手さを見込まれました。張緑水は燕山君が贅沢三昧をするときに一緒に享楽的な生活に溺れていきます。

 燕山君と張緑水がひたすら浪費したせいで、王朝の金庫が空っぽになったと言われています。実際、張緑水は金欲がすさまじかったようです。結果的に燕山君は1506年にクーデターで失脚して、その後、島流しにあってすぐに死んでしまいますが、張緑水は燕山君が追放された直後に首をはねられました。その遺骸に向かって、人々は石塚ができるくらいの石を投げました。燕山君時代の暴政は酷く、庶民はとても苦しめられました。燕山君と同じように張緑水も相当な恨みを買っていたようで、悪女と呼ばれても仕方がありません。

 次の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)も妓生出身です。いろんな宴席に出ながら自分を引き上げてくれるような金のある男性を探していました。

 その中で、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の王妃である文定(ムンジョン)王后の弟に近づいて妾となり、その推薦を受けて、文定王后のそばで働くようになりました。いわば、手先になったのです。

 やがて、文定王后の弟の妻を殺害して、妾から妻となります。文定王后の弟が大出世する中で、妻としてもまれに見る品階を得て、賤民から大出世を果たします。

■私利私欲に生きた女性たち

 文定王后が1565年に世を去りますと、その弟と鄭蘭貞は後ろ楯を失って「殺される」とおびえました。すぐに都から田舎のほうに逃げましたが、鄭蘭貞は最後に悲惨な死を迎えてしまいます。

 この鄭蘭貞を主人公した時代劇が『女人天下』です。このドラマの終わり方は、鄭蘭貞のことを「厳しい身分社会の制度を破壊しようとした革命的女性であった」という好意的な見方になっていました。

 ドラマの主人公だったので、最後に悪く描けないところもあったと思います。また、カン・スヨンというとても有名な女優が演じていたこともあって、視聴者の印象も極端に悪くはなかったでしょう。しかし、実際に鄭蘭貞が悪事を働いたのは事実でしょう。

 3人目の張禧嬪(チャン・ヒビン)は、韓国時代劇に何回も出てくる女性です。19代王・粛宗(スクチョン)に寵愛され、一介の女官から側室になりました。さらに、王の長男を産んで王妃にまで昇格します。

 このように一番の出世を果たしましたが、1694年に王妃から側室に降格した後、1701年には死罪になっています。これほど波瀾万丈の人生を歩んだ女性は、朝鮮王朝時代に他にいなかったことでしょう。

 以上の3人の女性は私利私欲に生きて、いったんは大きな成功を収めましたが、最後はみんな悲惨な死に方をしています。彼女たちは特に「朝鮮王朝の3大悪女」と称されています。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

出典=電子書籍版『康熙奉講演録』
(ロコレ提供)

最終更新:7月13日(水)17時36分

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