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安次富初子さん死去 女性地位向上に尽力 県庁初の女性課長

琉球新報 7月14日(木)11時25分配信

 沖縄戦後の復興期、生活改善普及員として農村部を訪ね、女性たちの暮らしの質向上に尽力した安次富初子さん=那 安次富さんは、知念高校卒業後、琉球政府建築課に採用されたが、出産に伴い退職した。その後、玉城村(現南城市)の生活改善普及員になった。1955年から80年まで、各市町村を回って婦人グループをつくり、生活改善の基盤を築いた。余った野菜を加工品に、家計簿の付け方、作業服の工夫などを指導した。生活を安定させ、暮らしの質向上が図れるような指導や情報提供をした。その後、本庁に勤務し、生活改善を手掛けたころは、国庫補助を得て地域へ冷蔵庫を設置したほか、集会所も開いた。

 安次富さんは、知念高校卒業後、琉球政府建築課に採用されたが、出産に伴い退職した。その後、玉城村(現南城市)の生活改善普及員になった。1955年から80年まで、各市町村を回って婦人グループをつくり、生活改善の基盤を築いた。余った野菜を加工品に、家計簿の付け方、作業服の工夫などを指導した。生活を安定させ、暮らしの質向上が図れるような指導や情報提供をした。その後、本庁に勤務し、生活改善を手掛けたころは、国庫補助を得て地域へ冷蔵庫を設置したほか、集会所も開いた。

 安次富さんは西銘県政時代の81年に、女性初の課長(青少年婦人課)に昇任した。当時、安次富さんの下で働いた元県職員の宮平叶子さん(76)は「仕事には厳しいが、仕事を離れると人情味あふれる人柄だった」と感謝を口にした。

 女性リーダーの育成も重視した。県出納長を務めた新垣幸子さん(71)は「昇任を打診されためらう女性に安次富さんは、『やってみたこともないのに、できないと言うのか』と口癖のように語り掛けた」と安次富さんをしのぶ。元県職員の垣花みち子さんは「後輩につなげて初めて仕事は評価されると話していた」と振り返る。

 84年から始まった「女性の翼」はことし33回目を迎える。466人が参加し、多くの起業家や議員を輩出している。

 農村部の女性リーダーたちとの親交は、退職後も続いた。恩納村の當山君子さん(73)は「安次富さんに家計簿の付け方を教えてもらった経験がきっかけで、特産品を開発する運動を始めた」と語る。安次富さんからもらった言葉「今日という日は二度とない、変わる時代に取り残されないために、学び続けたいもの」を支えにしているとし「本当に感謝している」としみじみと語った。

琉球新報社

最終更新:7月14日(木)11時25分

琉球新報