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【高校野球】“最後の夏”に向かう名門 PL学園の黄金期は?

Full-Count 7月14日(木)23時2分配信

15日に大阪大会の初戦を迎えるPL学園

 いよいよ15日に全国高校野球選手権大阪大会の初戦を迎えるPL学園。対するは強豪・東大阪大柏原だ。今夏限りでの休部が決まっている名門は、これまで高校野球界において数々の栄光を掴んできた。今回はその黄金時代と言える1978年~1987年を振り返ってみたい。

 1978年夏の甲子園では、準決勝まで勝ち進んだ中京(現・中京大中京)と対戦。9回表が終わった時点で4点ビハインドだったが、その裏に追いつき、試合は延長戦へと突入した。そして12回裏にサヨナラ勝ちを決め、決勝進出。迎えた決勝戦では、高知商と対戦。こちらも9回まで2点ビハインド。しかし9回裏の攻撃で3点を返しサヨナラ勝ちを決め、逆転で甲子園初優勝を決めた。「逆転のPL」と印象付けた大会であった。

 この代は、エースでその後は巧打者として活躍した西田真二選手、日本ハム時代の1992年にキャリア最多の14勝を挙げた金石昭人投手、西田選手とバッテリーを組み、その後は阪神の正捕手として活躍した木戸克彦選手がいる。

 また1979年にはセンバツベスト4。この時は、長くカープの4番打者として活躍した小早川毅彦選手、捕手としてNPB5球団を渡り歩いた山中潔選手。1981年には天才打者と呼ばれ、巨人で長く活躍した吉村禎章選手、ダイエーで代打として活躍した若井基安選手、南海ホークスで活躍したエースの西川佳明選手の活躍により初の選抜優勝を果たし、1982年には、好投手・榎田健一郎と森浩之のバッテリーで、2年連続の選抜優勝を果たす。

KKコンビが刻んだ偉業

 そして1983年は桑田真澄選手と清原和博選手が登場。桑田選手は夏の甲子園準決勝で、当時、夏春2連覇中の池田を完封。さらに本塁打を放ち、多大な注目を浴びるようになった。そして清原選手は、決勝戦の横浜商戦で本塁打を放ち、優勝に貢献した。ここから「KKコンビ」の伝説が始まる。

 1984年選抜は準優勝、1984年夏も準優勝、1985年選抜はベスト4と甲子園に当たり前のように出場し、常に優勝争いを繰り広げてきた。しかし1年夏に優勝した2人にとって、甲子園優勝を逃してきたことは、歯がゆいものであった。そして1985年夏は決勝まで勝ち進み、清原選手が大会新記録となる5本塁打。5本目を打った時、当時のABCアナウンサーの植草貞夫氏が発した「甲子園は清原のためにあるのか!!」は今でも名言として語り継がれている。

 こうして2年ぶりとなる甲子園優勝を果たしたKKコンビ。その秋のドラフトで、清原選手は巨人または阪神指名を熱望していたが、なんと巨人が指名したのは桑田選手であった。清原選手は6球団の競合の末、西武から指名。巨人から指名がなかったことに号泣した姿するシーンも歴史に刻まれ、何度もこのドラフトをめぐっての特集が組まれるほど印象深いエピソードとなった。

 その2年後の1987年、立浪和義選手、橋本清選手など好選手を揃え、KKコンビが成し遂げられなかった春夏連覇を達成した。PL学園の長い歴史を見て、1978年~1987年はまさに黄金の10年だっただろう。この時はどんなOBがいたのかを以下に紹介していきたい。

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最終更新:7月14日(木)23時11分

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