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社説[天皇「生前退位」]国民論議深める契機に

沖縄タイムス 7/15(金) 5:00配信

 天皇陛下がその位を譲る「生前退位」の意向を周囲に伝えていたことが明らかになった。数年前から「天皇である以上は公務を全うする。そうでなければ天皇としてふさわしくない」と繰り返していたという。天皇として行うべき公務と、高齢ゆえの身体的衰えのジレンマの中で、熟慮した結果なのであろう。
 2015年の82歳の誕生日の記者会見では「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもあった」と率直に語っている。同年の全国戦没者追悼式で前後の手順を誤ったことが念頭にあるとみられる。
 生前退位は皇室の長い歴史からみれば珍しいことではないが、江戸時代後期以降、約200年間にわたって例がないのも事実だ。
 皇室制度を定めた「皇室典範」にはそもそも生前退位の規定がなく、退位後の地位の定めもない。亡くなるまで天皇の地位にあることを前提にしているのである。
 元号も変わる。生前退位を可能にするには、皇室典範の大幅な改正や新法制定などが必要で課題は多い。生前退位が意向通りに進むかは分からない。改正だけで数年かかるとの見方もあるからだ。
 改正などではなく、皇太子による公務の代行を増やすことも考えられる。昭和天皇の最晩年に皇太子時代の天皇が代行した前例がある。
 政府は、静かな環境の中で国民の声にじっくり耳を傾けながら、意見の集約を図るべきだろう。
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 昭和天皇は戦後、全国各地を巡幸したが、沖縄訪問だけはかなわなかった。これを埋め合わせるかのように、天皇は皇太子時代を含め、10度沖縄を訪れている。最近では1400人以上が犠牲になった学童疎開船、対馬丸撃沈事件から70年に当たる14年6月に那覇市の対馬丸記念館を訪問し、同世代のみ霊を慰めた。
 12年の誕生日の記者会見では唯一の地上戦で多くの県民が亡くなった沖縄戦を踏まえ、「戦争で沖縄の人々の被った災難は、日本人全体で分かち合うということが大事ではないかと思う」と語った。「時がたつにつれ忘れられていくことが心配される」と懸念も表明した。
 太平洋戦争の戦没者を追悼する「慰霊の旅」を節目ごとに続けてきた。戦後50年の1995年には長崎、広島、沖縄、東京を巡った。戦後60年には米自治領サイパン、戦後70年にはパラオ、今年は激戦地フィリピンを訪問した。
 慰霊の旅が一区切りついたことも生前退位の意向に結び付いたに違いない。
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 天皇ご夫妻は国民と共に歩む平成の新しい象徴天皇像をみせてきた。慰霊の旅で戦争に向き合い、東日本大震災など大災害では国民に寄り添うことによって。
 歴代天皇の中でも最高齢に近い年齢になって次代の皇室を見極めたいとの思いがあったのかもしれない。
 女性天皇など皇位継承の問題はこれまでにも議論になったが、先送りされた経緯がある。現代にふさわしい皇室の在り方とは何か。生前退位を考えるきっかけにしたい。

最終更新:7/15(金) 5:00

沖縄タイムス