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【桑田佳祐と“東京の唄”後編】歌謡曲と桑田佳祐に流れる“和魂洋才”

M-ON!Press(エムオンプレス) 7月15日(金)18時13分配信

桑田佳祐、東京の唄【後編】

日本の歌謡曲と東京の関係性に迫った前編はこちら

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番組を観ながら考えた、もうひとつのこと。それは“歌謡曲”ということについてだった。桑田佳祐と歌謡曲、あるいは、サザンオールスターズと歌謡曲というテーマは、すでに語り尽くされた感もあるかもしれない。でも、あえて“偉大なる歌謡曲に感謝”と銘打ったスペシャル番組は、改めてそんなことを再認識させてくれたのだ。

ただ、彼が、こうして使っている“歌謡曲”という言葉と、今の音楽を聴いている若い世代の人たちが思い浮かべる“歌謡曲”とは、少しニュアンスが違っているのではないだろうかという気もしている。

彼が選んだ“歌謡曲”は、ほとんどが昭和40年代までの曲だ。1曲目の「東京の屋根の下」は、昭和20年代の曲だ。

「東京の屋根の下」を歌った歌手が、灰田勝彦だったことが新曲「ヨシ子さん」に繋がる気がしたと書いた。

ただ、曲を聴いた限りでは、そんなに直接的な関連は感じないだろうし、それをこじつけで思う人もいるかもしれない。でも、彼がハワイアン歌手だったことは、桑田佳祐の中の歌謡曲を見る時にひとつの入り口になるような気がしたのだった。

“和魂洋才”という言葉がある。

心は“和“で形は“洋”。西洋の新しい知恵や技術を取り入れることで発展してきたのが日本である、という例えだ。

歌謡曲は、まさしくその最たるものだった。「東京の屋根の下」は、作曲が“J-POPの父”服部良一である。戦前からジャズを下地にした日本語のオリジナルを作り始めた作曲家だった。ジャズは、日本の新しい音楽の土台となった音楽だった。

ハワイアンもそんな音楽のひとつだった。ハワイアンから転身した作曲家や歌手も少なくない。灰田勝彦もそんなひとりだった。

戦争中の日本が、ジャズやカントリーなどアメリカやイギリスの音楽が禁止されていたことは知っているだろう。なぜなら敵国の音楽だったからだ。戦後、焼け跡の東京にどっと入ってきたのが、そうした音楽で、その中にハワイアンもあった。灰田勝彦の伸びやかでどこか切ない声と歌は、民謡や浪曲出身の歌手とは明らかに違う華があった。

実は、選ばれた曲の音楽は水と油というくらいに相容れないジャンルの音楽が一緒になっている。カテゴリーや分類にこだわる最近の傾向で見れば許されないラインアップでもあるかもしれない。でも、番組を観ていて、そんな違和感を感じた人のほうが少なかったのではないだろうか。

歌謡ブルースの名作「赤坂の夜はふけて」、都会派歌謡曲の代表「有楽町で会いましょう」、マスコミが無国籍歌謡曲と名付けた「ウナ・セラ・ディ東京」、日本固有のダンスビート「東京ドドンパ娘」などと都々逸入りの「車屋さん」や「すみだ川」を同じ流れで歌うことなどありえないだろう。

しかも、ひとりで歌ってしまうのだ。

こんなにスタイルの異なる日本語の歌をどれも違和感なく歌えてしまう。

オリジナルを知らなくてもいい。オリジナルを再現しようとしているわけでもノスタルジーを感じてもらうのが目的でもない。

桑田佳祐の歌として楽しむことができる。

歌手・桑田佳祐のジャンルを超えた表現力の懐の深さ。それこそが、この番組の最大の見所だった。

和魂洋才というのは、何でもあり、という意味に置き換えることもできる。

目新しいこと、面白いこと、誰もやってないようなもの。そういう要素を飲み込んできたのが当時の歌謡曲だった。

今、歌謡曲を語る時”演歌・歌謡曲”という括りになることが多いように思う。

少なくとも昭和40年代まで、演歌は、歌謡曲の中のひとつのスタイルであって、歌謡曲そのものではなかった。ひとつのジャンルやスタイルに収まらない誰もが親しみ歌える日本語の歌。それが歌謡曲だった。ジャズと都々逸が合体した「車屋さん」などは、その典型だろう。それを歌いこなせる歌い手がいたということも忘れてはならない。

「車屋さん」を歌ったのは、永遠の歌姫、美空ひばりだ。「ウナセラディ・東京」を歌ったザ・ピーナッツは名古屋のクラブでラテンを歌っていた時にジャズドラマーにスカウトされて渡辺プロに引き取られたふたりだ。「東京ナイトクラブ」を歌ったフランク永井も松尾和子もジャズ歌手の出身だ。“和魂洋才”で言えば“洋”の人たちだった。そんな人たちが大河のような”和”の流れを作ってきた。

番組には“偉大なる歌謡曲に感謝”というサブタイトルがある。そんな歌謡曲のバイタリテイの“偉大さ”に向けられた”感謝”でもあるのだと思う。

彼は今回の企画について、“還暦を迎えて改めて自分のルーツを”と語っていた。

彼の実家が映画館を経営していたことは知らない人はいないだろう。

彼が生まれた昭和30年代は映画館が最も賑わっていた時代だ。それを支えていたのは日本映画である。映画と音楽。それが大衆文化の両輪だった。映画館の宣伝スピーカーからは、その時々の流行の音楽が流れていた。

映画館は、映画を観る人だけでなく、その街の音楽の発信地でもあった。

ルーツが歌謡曲──。

それは、ジャンルがひとつではないということだ。特定のアーテイストやバンドしか聴かないという昨今の音楽の聴き方とは少し違うかもしれない。何でもありの雑食性、そして、“和魂洋才”。そして、それはそのままサザンオールスターズ、桑田佳祐の音楽の魅力にも繋がっている。

サザンオールスターズのアルバム『葡萄』が発売になった時、宣伝用のコピーに“大衆音楽の粋”という言葉が使われていたのを記憶されている方も多いだろう。日本の歌謡曲の”魂”を継承しつつ時代を超えてきた活動の到達点。彼は“歌謡曲を飲み込んできた”のではなく、彼の存在そのものが、”その後の大衆音楽”なのではないだろうか。

「ヨシ子さん」は、桑田佳祐ならではの曲だろう。相も変わらぬ“洋”信仰を揶揄するような始まり。レゲエとチンドン屋が合体した庶民性、そして、インド洋やペルシャ湾から流れてきたような民族性。そこに”ハワイアン”という言葉が自然に流れ込んでいた。

彼の中ではさほど大げさな発想ではなかったのだと思う。「東京ドドンパ娘」的な遊びを今、やってみたいと思っただけなのかもしれない。それこそが彼の真骨頂なのではないだろうか。

これを書きながら思ったことがある。

「大河の一滴」の”大河”という言葉の中には、偉大なる日本の大衆音楽の流れ、という意味もあるのだろうか。

その中のささやかな一滴──。

それは、還暦を迎えた彼の心境でもあるのかもしれない。

「偉大なる歌謡曲に感謝 ~東京の歌」は、8月にスペシャル版が組まれている。

6月の放送を見逃した方もぜひご覧いただきたい。

TEXT BY 田家秀樹

■「偉大なる歌謡曲に感謝 ~東京の歌」放送楽曲

01.東京の屋根の下/灰田勝彦
02.あゝ上野駅/井沢八郎
03.赤坂の夜は更けて/西田佐知子
04.有楽町で逢いましょう/フランク永井
05.ウナ・セラ・ディ東京/ザ・ピーナッツ
06.東京ドドンパ娘/渡辺マリ
07.車屋さん/美空ひばり
08.すみだ川/島倉千代子
09.たそがれの銀座/黒澤明とロス・プリモス
10.東京ナイト・クラブ( w/原由子)/フランク永井/松尾和子
11.男はつらいよ/渥美清
12.新宿の女/藤圭子
13.新宿育ち( w/TIGER)/大木英夫/津山洋子
14.紅とんぼ/ちあきなおみ
15.北国の春/千昌夫
16神田川/かぐやひめ
17.東京砂漠/内山田洋とクール・ファイブ
18.唐獅子牡丹/高倉健
19.東京/桑田佳祐
20.悪戯されて/桑田佳祐(ボーナストラック)

■プロフィール

クワタケイスケ/1978年6月25日にシングル「勝手にシンドバッド」で、サザンオールスターズとしてデビュー。

オフィシャルサイト
http://special.sas-fan.net/special/yoshikosan/?xm=3581&xr=2

■リリース情報

2016.06.29 ON SALE
SINGLE「ヨシ子さん」
タイシタレーベル/ビクターエンタテインメント

最終更新:7月15日(金)18時13分

M-ON!Press(エムオンプレス)

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。